日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

わからないに水平チョップ

2020/03/02

 

「一点に集中することにより、そのこと以外がすんなりといく」というのは、曲解された自己都合か。疑問を持ち続けると、感情が細分化されてどの状態も喜怒哀楽に当て込められない。疲れているのか、楽しんでいるのか。生は希薄か濃厚か、その密度さえもよくわからない。別の何かによって、使役的に動かされている気もする。自分はそれを一つの集約した言葉、絶対的な存在に落とし込みたくない性分である。天変地異、全てが無になりそう、直感。


自覚、言葉にできない予測や予見、それらを想像力と呼ぶのであろうか。疑問が湧くのは明らかに刺激を受けたからである、人と関わることにより。対象のデバイス的なものに電気信号を送って起動しはじめる。供給量が現在の許容値を越えれば故障する。


そう考えてしまうと、人間もシステマチック。いつか志人さんがフリースタイルで言っていた「電気伝導体」という単語が浮かぶ。

 

それを繰り返し。行動は変わらずとも、許容値のラインは変わっていく。 「わからない」に割れ目を入れては、中をのぞいたり、どこか遠くに投げたり、抱き抱えたり。

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