美しい文章を書きたいと思う。 いついつまでも
LINEのスタンプの利便性
言語はシグナルであって、コミュニケーションのツールとして使われている。
LINE(アプリ)のスタンプは、携帯電話でのコミュニケーションにおいて最高のものに感じられる。
「了解、わかりました」など、理解したという信号を相手に渡すときに、どんな温度で理解しているのか、というのをスタンプによって伝えられる。
「楽しい、嬉しい」などの感情さえもスタンプによって置き換えられる。
受け取る方も視覚的な方が伝わりやすいし、微妙なニュアンスも届けられる。
交流の革命児。相互理解の助っ人。スタンプさん。
お世話になっております。
そして僕は結構、初期の無料のスタンプを使います。
「未だにそれなん!!」と一笑い生まれればいいと心のどこかで考えています。
いえいえ、ヨコシマです。はい!
美しい文章を書きたい
いやはや、文章とは何か。
美しい文章を書きたい。圧倒的に。
明治、昭和の文豪たちの文章の下に暮らす。
読むたびに地力の違いに唖然とさせられます。まず、言葉を知らないという、半べそをかきそうです。特に情感、季節感を表す言葉を知らない。
伸び代に期待して、鍛えていくしかない。
文豪さんたちの文章が美しいと感じるのは、死生観が漂っているからだろうか。
美しいけど、すぐ隣に「気持ちわるい」が待機しているように思える。
そのバランスの妙が本質的な美しさへと繋がっているのだろうか。
そういった文章が書けるようになっても、ニーズやらなんやらを考えると、人生がどうこうなるわけじゃない。でも、書きたい。直感、本能に従う。
強固で融通の利かない文章、不器用ゆえのぬくもり。暴力的なまでの統一性。
柔らかいのに噛みごたえがある文章、普遍的で曇っている。中心点が見当たらない。
簡潔に伝えるための文、芸術を打ち立てるための手段、専門的で難解な言葉を多用し、表面をなぞらえた美辞麗句。突っぱねてみたり、問いかけてみたり、言い切ってみたり、淀んでみたり、人から発される限り多忙で曖昧。
奥ゆかしくもありたいけど、黙ってもいられない。
そんな狭間をくぐり抜けて言葉を参上させたい。
ひらがなとカタカナと漢字を使える。
自由度の高い日本語ゆえの、我が文章を宿命的なレベルにまで押し上げたい。