吐瀉物の上で奥ゆかしく踊る。
2019/09/21
吐瀉物の上で奥ゆかしく踊る。
いくら垢にまみれても、それぞれの生を受け取っている。知覚させるための信号、そのエネルギーは例えば電気だとか。設計書や世界を巡る循環システム、成分の交換は動植物内で多種多様に行われている。目に見える身体までを自己と定義するのか、生きるためのエネルギーや愛しいものを含め自己とするのか。言葉を与えられ創られた概念を私はいくつ覚えたのだろうか。楽しくも遠い。
それらは知覚を敏感にさせ、次へと導いてくれる。
概念を脳内にコレクションし、「観察」を始める。
朝、目覚まし時計を止める
夕、空はオレンジ色に染まる
夜、忙しさの中で眠る
1日が過ぎるのが異様に早い。
ユニバーサルデザインという言葉がある。
2019/09/16
ユニバーサルデザインという言葉がある。
以下、ウィキペディアからの引用。
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文化・言語・国籍や年齢・性別などの違い、障害の有無や能力差などを問わずに利用できることを目指した建築・製品・情報などの設計のこと
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内なる性質を表象化させたものを表現とすると、(上記のウィキペディアから引用した意味において、)"普遍的な表現"とは存在し得るのだろうか。あらゆる可能性を内包させ設計するという、理想のような手法。
そもそも個が目立つものは、文化や年齢、得意/不得意を含む広い意味での障害、(その過程は自覚的かどうかの差はあれど、)それらを基に加工し組み立てられている場合が多い。少し話はそれるが、目を瞑って音楽を聴くとよく聞こえる。頼っている器官がなくなると他の器官が補おうとするのか。視覚は危険を察知するのに役立つが、察することが想像力を奪っているのかもしれない。目をつむると察せられない状況。視覚がダメなら聴覚。音で危険のようなものを察知しようとするから、音がよく聞こえるのか。抗えない本能を逆手に捉えれると、質の良い鍛錬に繋がる。
あらぬ方向に話が飛んだが、表現云々ではなく、単純に機能として簡単に利用できればユニバーサルデザインは素晴らしい考えのようにおもう。生き残ろうとする本能は、独り勝ちを目指す。それに抗うのは理性である。"理性"とは可能性であり、人間に与えられた素晴らしい武器と考えている。自由意志の発達。共生へのヒント。
後ろに
2019/09/10
種。争い。動物的本能、人間的理性。
人間は共生する方法を見つけ出し、共に生きていく方法を編み出してきた。一周はひとりの一生分より長く。そのためか、時代に適応する方法ばかりを先行させる、と、決めてしまうのは(その思考に支配されると)、感傷が過ぎるのだろうか。ほぼ全てが自らのストレスを転嫁させるための誇大妄想なのか。 報復の積み重ねが世界のいたるところで。何やら、平和ボケが生んだ思考の一つのような気もしてくる。
背筋が凍る、身の毛もよだつ経験のなきもの。何か曖昧な、説明のつかない、どの言葉で表せばいいのか分からない、抽象的な概念ばかりが跡をつけてくる。日々、印をつけてやりくりをしている。