昼行灯
2019/09/03
東京は東村山の方へ向かった。池袋や上野など、中心的な場所へ出向く時とは違った。周囲の建物の高さは一段と低くなり、走る電車からは時折、個人経営の居酒屋が見える。まだ午前の十時を過ぎたばかりである。しんとした車内には本を読む女性がいる。その本は薄茶色のカバーで覆われていた。
眉間にしわを寄せ、顎には三重の線を浮かべている。小さなピアスが耳たぶに埋め込まれており、その様子は妙である。
しばらくして電車は新小平駅に到着した。青梅街道駅へは一度、改札を出て歩かなければならない。残暑の中、黙々と駅に向かった。その途中、忘れ物をしていると気がついた。来た道を戻り、新小平駅から家の方へと向かった。
時間を無駄にしたものだと、憤慨した。
「手染め」
閉塞感 寒空の下 風が吹く
招かれた人とそうでない人
その境目から やや悲しみから
眉をしかめ 四季をたいらげ
木々を追いかけ 君の老いまで
汚れる落ちない元の白色が発光した
会いにいくまで いずれ別れる 離れる
静けさに気付けば 見つけたがにじんだ
「夏の旅」 東北篇 その2
2019年8月24日
東北から帰ってきて随分と時間が経った。この旅は記録に残すという、セキュリティの脆弱性を伴ったかのような意志は瞬く間に消えていた。記憶も曖昧になっているが、カニ政宗で蟹を食べたことはしっかりと覚えている。
うだるような暑さに、10分も歩けば汗は噴き出し呼吸は荒くなる。そこで、同伴者と私は、"DATE(だて)バイクなるレンタル自転車"を活用した。これが大当たりである。乗り換えられるポイントがたくさんあり、同じ場所に戻さなくてもいいのだ。夏、仙台の街を自転車で走行する。字面の表面的なイメージに嬉々として、目的の仙台メディアテークまで走らせる。
建築について詳しくないので細かに書けないが、とにかく建物が美しかった。同時に、正解をずっと出されている、隙を感じられなかったのも事実である。私は隙のないものと対峙した時に、資本や権威の匂いをどことなく感じ取ってしまう。それは生涯、解決を約束されない事件のように、つきまとう。
2階か3階、正確には忘れたが図書館のフロアもあった。文献や記事を探しに来ているのか、比較的に年配の方が多かった。丸いメガネに白い顎髭、微動だにしない眉で堂々と新聞をめくるお爺さん。
「この人は物知りだ」と思いこみ、棚にある本に見向きもせず、私は「いい顔をするものだ」とあるお爺さんの表情を見ていた。ここが仙台であること、旅の最中であること、そういったメタデータは脳内からどんどんと抜け落ちていた。
旅は日常からの脱却であるが、己を解放できるかどうかは別の問題である。