ローカル特有のパーティの空気が出来上がっている。
2019年5月25日
よく飲んだ。
ローカル魂が燃えます。ある種、曲解ですが、アフリカ回帰の空気感。部族の集会のような。そういう、人間の原始的な部分、琴線に触れる温かいイベント。
BTO加藤さん。意識か無意識は、置いといて、そういうローカル特有のパーティの空気が出来上がっている。漢さんが流れたと思えば、大黒摩季さんが流れる。チルなビートが流れたと思えば、4つ打ちのビートが流れる。
ジャンルの統合ではなくて、空気での統一感。これは、なかなか、やろうと思ってできることではない。正直、自分のライブは「どうしてなかなか」という感じでして。良い塩梅の取り方に悩んでいて、正攻法ではなく、素直という裏技を駆使したような。なるべく封印しておきたいやつ。
ただ喜べるのは、実感として、音楽に自分が溶け込み出した感覚がある。頭でやる部分も必要だが、ライブは頭ではなくて、本能で。と雖も、すごく頭を使ってしまっていたという矛盾。
今日は本当に良い日に。
なんにしろ、感謝。明日には明日の風を吹かせて。
お土産で玉ねぎをいただいた。これをチーズと絡めて・・。
i phoneに残されていた写真 2枚
「ライブはセックスと同じ」ということを聞いたことがあるけど、その通りだと思った。
2019年5月24日
昨日、ライブ雑感。
ピエール瀧さんの薬物問題が世間を賑わしていましたが、音楽と高揚感はどうしても切っても切り離せない。ライブをしていて、そんなことを感じた。ステージに立つと、普段、普通に働いている感覚ではなくなる。
一種の陶酔である。「ライブはセックスと同じ」ということを聞いたことがあるけど、その通りだと思った。陶酔を精神でコントロールしながら、ステージに立つ人と見る人で創り上げていく、相互作用が必要になる点。
ライブする前にライブの印象が決まってしまっている。場の雰囲気や、演者と観衆の感性。そういう点も性行為に似ている。高揚している自分とそれを支配する自分、二つを操りライブする。やたらと精神的な行為と感じた。昨日ライブをして少し掴みかけた。
どういう単語で表現するのが正しいかの基準がないためか、音楽的な些細な感覚はなかなか言語化できない。それを「最高」「素敵」というひとつの言葉で集約してしまうと、味わい深さ、趣がなくなる。微細な批評や分析も立派な音楽的行為のはず。
ただ、コミニュケーションとしては「素敵」「最高」という言葉は甚だ便利である。決して、使わない方がいいと言っているわけではない。目的や生き方によっては、使用すべき場面が多数でてくると思う。結局はその人のスタイルというところに。
多種多様、十人十色。共通できる部分で認め合い、他の考えに敬意を持つ。
次の作品、「残響」をテーマに。
2019年5月22日
周囲の話し声や袋を触り、カサカサとする音。その周囲のすべてを、身体のどの器官かは甚だ不明だが、取り入れて聴いてみる。それらが一つの曲、即興的な演奏として。そう聴いていると、音楽を聴いていなくても、曲を聴いている状態になる。
サンドイッチマンに「ちょっと何言ってるかわかんない」と言われそうだけど、そうゆうこともある。精神か肉体か特定はできないけど、外からの音を吸収し、内蔵した状態になるように今、修行中。
また別途、作品として、詩の方とコラボレーションしたいと考えている。「残響」をテーマに。「残響は殆んどどんな場所でも生じている」らしい。普段はなかなか、意識しないこと。どこでも起こっている現象なのに無意識の配下。それらを意識に書き起こす作業。
残響を調べると2種類あるそうで、まずは初期反射。
wikipedia様によると、
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室内では、直接音が聞こえたあと数 ms から 100 ms くらいの間に、条件によっては、壁、天井、床などからの数十個の反射を他の音から分離して聞くことができる。
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つまり、耳にしているのは、主に初期反射なのかもしれない。
そして、後期残響 。ミスターwiki参照。
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直接音が聞こえてから 150 ms 以上過ぎたころには、音は多数回反射し、反射音の数も増えているため、もはや個々の音を区別して聞くことはできない。また、音は等角反射するだけでなく、壁・天井などでも散乱されるため、残響の構造はさらに複雑になる。これらによって構成されるのが、後期残響である。
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音や声を単一的に捉えていたけど、残響を含めた音や声をほぼ聴いているということになりそうだ。そこにすごい惹かれて、「残響」というテーマにしようと。
今日はライブだった。色々と個人として気づいたこともあった。ありがたい。
感想はまた明日書く。とかく、練習。