日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

次の作品、「残響」をテーマに。

2019年5月22日

 

周囲の話し声や袋を触り、カサカサとする音。その周囲のすべてを、身体のどの器官かは甚だ不明だが、取り入れて聴いてみる。それらが一つの曲、即興的な演奏として。そう聴いていると、音楽を聴いていなくても、曲を聴いている状態になる。


サンドイッチマンに「ちょっと何言ってるかわかんない」と言われそうだけど、そうゆうこともある。精神か肉体か特定はできないけど、外からの音を吸収し、内蔵した状態になるように今、修行中。


また別途、作品として、詩の方とコラボレーションしたいと考えている。「残響」をテーマに。「残響は殆んどどんな場所でも生じている」らしい。普段はなかなか、意識しないこと。どこでも起こっている現象なのに無意識の配下。それらを意識に書き起こす作業。


残響を調べると2種類あるそうで、まずは初期反射。
wikipedia様によると、

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室内では、直接音が聞こえたあと数 ms から 100 ms くらいの間に、条件によっては、壁、天井、床などからの数十個の反射を他の音から分離して聞くことができる。

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つまり、耳にしているのは、主に初期反射なのかもしれない。
そして、後期残響 。ミスターwiki参照。

 

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直接音が聞こえてから 150 ms 以上過ぎたころには、音は多数回反射し、反射音の数も増えているため、もはや個々の音を区別して聞くことはできない。また、音は等角反射するだけでなく、壁・天井などでも散乱されるため、残響の構造はさらに複雑になる。これらによって構成されるのが、後期残響である。

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音や声を単一的に捉えていたけど、残響を含めた音や声をほぼ聴いているということになりそうだ。そこにすごい惹かれて、「残響」というテーマにしようと。

 

今日はライブだった。色々と個人として気づいたこともあった。ありがたい。

感想はまた明日書く。とかく、練習。

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