日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

心の琴線に触れる、それぞれ美しいもの。

  

1.バイオリン、チェロ、コントラバス、弓で弦を擦る楽器たち。いわゆる擦弦楽器は、懊悩とした感性を引き出す。気を緩めていると涙が頬を伝う。

 

2.暗くなった街、あたりに人気がなく、静謐である。その中に暖色の光。平凡で穏やかな時間が流れる、最も普通の家を照らす。

 

3.圧倒的な数が等間隔に配置されている、あらゆるものにおいて。椅子でも、車でも、人でも、模様でも、一糸乱れずに、協調と無個性は別問題と言わんばかりに。

 

4.他の心と触れ合い、底から笑い、その時間に飽きてきたころ。互いを推し量り尊重する。たまの傷も誇らしく思える。

 

5.立派な緑色の葉の残像、いつまでもそこに居残り、脳裏に。粗を探すまいと踏ん張る分析家。幻想かもしれない美徳に生かされている。

 

心の琴線に触れる、それぞれ美しいもの。

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オトノハナシ、オトノコウサツ、週末の振り返りによる。

週末、振り返り

 

金曜日はロフトバーにお邪魔して、DJ 紙ヒコーキ、しました。紙ヒコーキらしくゆらゆらと浮遊した音を前半に持って行きました。大きな音で、曲を聴くのは楽しく、セレクトしている、感覚もたまらず、プレイリストに愛着わきます。
(土曜日の紙ヒコーキをプチ公開!)

 

笹谷創さん(@sasastagram)がシェアした投稿 -


好きなものを羅列するという、得てして、ビギナーではございますが、継続は力なりと、ご贔屓目にお守りいただければ.. 

手間はかかるけど、自分の手を加えたものが、愛しいのは人間の性。loft barにいたみなさまも、個性的で楽しかった。「遊んで楽しかった」というのも、小学生みたいなので、ここは写真で振り返ろう!

 (乾杯の瞬間)

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(出てきた時の空)

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(完全に朝です)

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音楽を考察

 

そういえば、高校生の時、小遣いをはたいて買ったターンテーブルを次の日曜日に、我が部屋に取り寄せます。レコードを買い出したので、楽しみで、楽しみで。あら。

 

また、自分のオケでこの人と曲やりたいな、と思った方にいろいろとお声をかけさせていただいたり、EARで開催している「have a good time」で、レギュラーで回していただいているLドラゴンさんのMIXのリリースのお話だったり、自分のアルバムリリースだったり、音楽的に何かと楽しみなことが増えている日々です。

 

感情や人間的プロセスを抜きにして、「けっきょく、綺麗なコードの上で綺麗な音色で、綺麗なメロディを乗せればいい音楽じゃないか」という極論が心のうちに少しありますが、最近、ウワモノより下地が気になります。ドラムです、そこに着目して聴いていると、だんだんとクセになるといいますか、いわゆるリズムに自分が捉えてた何倍も可能性がある気がして。

音程を縦軸、リズム(時間)を横軸(楽譜などはそうなっていますね)、なんと当たり前です。音程は高さでリズムは横・・何かうまく言えないですが、そこに秘密があるような気がします。

それは視覚で捉える時に、ただ、かんがえやすいだけなのかも。それ以外に音を視覚化して、わかりやすい方法はあるのか。そこの答えは全然でないとして、
その視覚を活用し、リズムを横の線と考えると、線が途切れる瞬間、つまり「間」が面白いのかと。
「間」は空間として存在しているもの。つまり、画面(二次元的)で線が途切れていても、それを間とはあまり認識しませんが、音が途切れて、流れると、それは間と認識します。言い換えれば、空間に存在したものが、消失し、また浮かび上がる。

これが何を意味するかというと、「あったものがなくなる、その変化が人を驚かせる」です。なんと、当たり前な結論に至ったことか!!!

 

考察しようと書きましたが、超当たり前の結論の連続に、「だから何?」と言う何かを指摘した瞬間に見せる、全てを説き伏せようとする妹の顔が思い浮かんできます。(冗談!)

 

しかしながら、こうやって特に結論の出ない、届かない考察を、続けた先に、新しい価値や新しいものが出来上がっていくのではと。また、芸術には支離滅裂、それをささえる明晰さ、が両方必要なのかなと。

 

届かない思考は作品を変化させていくはず。わからない、知らないを見つめ続ける。

「週末の深夜は、歌舞伎町で飲む。」

雑記

 

明け方に仕事を終え、帰宅。明け方といえど、日が昇り始めた6時とか。
6時だと危惧していた現象が。やはり、JR様の目線で見れば満員御礼です。

 

電車内のお一人様をひとつの要素として、俯瞰してみれば、その結晶の結合は汗で成り立っているぐらいの。人が多いとそれぞれのバイブスに熱が、入り乱れて、そのバイヴスが伝播して、(繰り返し・・。)

  

染色体の数か、何か、原因はわかりませんが、何かしらに影響を受けやすい、ワタクシは文化人的な、また、知的な雰囲気を漂わせている人が好きです。菊池成孔さんとか、松岡正剛さんとか。それらしきものに、ついつい、ハイエナのごとく喰らい付き、触発ばかりされて。

www.youtube.com

 

多読ノススメという内容のようで、まあまあ本は読んだりしますが、記憶がキャッチャーミットとすると、ビーンボールの連発。否が応でも文字には慣れましたが。

(どうやら、記憶力の差というのは活性化される脳の部分が違うそう)

wired.jp

 

このラジオで話されていた、「疲れてきてからが本番」説、普段と疲れている時では、何か生まれてくるものが違うのか、覚醒するのか、そういったことに興味を持たれていたそうで、これまた、興味深い。何かを習得しようと考えているなら、疲れてきてからのプラスアルファで変わってくるのか、筋トレはそういう方法を活用しているけど、何か、芸術ごとにも、あるのか。疲れ切った状態での執筆、音楽制作。

 

具体例が、なかなか、俗っぽくなりますが・・毎日8時間の睡眠より、6時間睡眠の方が、リズムができて、覚醒している感はある。手を動かすのが早いといったような。

創作が常日頃の場合、覚醒もそうではないも、いつがその状態か、そうでないかもわからず、「実は覚醒していた」などということも。

甚だの直感ではございますが、外を変えるより、内と向き合う場合の方が、覚醒に近いかと。(積もりつもって、覚醒パラメータが飽和するイメージ、)

 

DJ

 

 

あまり、慣れていないことは、脳の活性化にも、良い。

ということで、明日は深夜DJです。

 

場所は歌舞伎町LOFT barです。「金曜日」「歌舞伎町」、パワーワードまっしぐらです。「週末の深夜は、歌舞伎町で飲む。」爽快なキャッチコピー、ぜひ、週末の深夜は歌舞伎町で飲みましょう。

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