紛うことなき、トマト拉麺を食したのだった。
完熟したトマトの聖なる匂いに、とろりと絡みつくチーズ。
トマトラーメン、おすすめです。ゴリゴリの美味を誇ります。
トマト拉麺、食す
器に太陽が押し込められたのかなと思うぐらいの眩さ、薔薇と同じ王道の赤色を引っさげて、まず食す者の目を楽しませる。危険と分かっていても、近づいてしまうのが人間の性、真っ赤です。表象を乗り越え、無意識の最下層へと侵入し、夢うつつのまま割り箸を真っ二つに割っている私たち。
平日は仕事に励み、休日は家族サービスに費やすお父さんから、池袋の駅で抱き合っている人を冷ややか、かつ、羨ましく見ているオフィスレディまで、丸いくるくる回るタイプの椅子のうえで微動だにしません。
ただ、ひたすら赤い妖精を待ちわびているのです。もちろん、私もその一人です。
妖艶さに酔ってしまうのはどの時代もしかり。しかし、街の一角にある一見なんでもないこの店に、熟した大人たちがしれっとした表情の仮面をつけている。その下には未来への期待が隠されている。それぞれの期待は空気となり、店の中に充満しひとつの共同体のようにさえ感じた。
この空気を創ったのも、ひとつの食品、もとい、一回の食事なのだ。涎の分泌を紛う方なく感じ、大げさなコマーシャルのごとく、肌から喜びが感じられてくる。
私は汁が飛ばないように白いエプロンを掛け、セルフサービスの水を注ぎ、ちらちらと拉麺を作っている様子を見ていた。
ここまで無言を貫く。
そして、思い切って、普段より少し威勢の良い声で注文を切り出した。
今日の一曲
ストレートなアメリカンロック、お知り合いに教えていただいた。その方いわく掘っていくと、レーベル単位でチェックするようになるらしい。プレイヤーとしても存在するけど、音楽そもそも聴くのが大好きなもんです。
70年代の方たち。まっすぐにバンドサウンド><
人生を楽しみたいなら、知的好奇心を常に更新することさ
疑問の連続
木から鉄から銅から銀からプラスチックから、何からできているんだのと、また疑問。
モノは何かしらの素材からできている、さらに言えば原子からできている。(原子からできている、それはつまり...どういうことだ) 存在が先に有り、そこから名称を当てはめる、つまりや、存在より先に認識がある。そこからではないか。原子がどういうことというのは、その認識を使うことから始まるのではないか。
よく分からない。
よく分からないとはどういう状態か、イメージができていない、つまり、自分の整理の方法に落とし込めていない状態か。ヒントやきっかけとなるものさえも思いつかない、ストックと結びつかない状態か。
心臓や手足とそれぞれ、人間の体には機能がある。肌、毛、目、見えない筋肉、ニューロン、人間という生物の構成要素は無数にありそう。
コンピュータにも構成要素はあり、aがb状態だからcに影響を及ぼす。構成要素からなるすべてのものの基本は、上記の一文からなり得るのではないか。(ただ、複雑すぎて解明するの不可能そうなことはありそう)
規則や法則、つまり前提を決定できたなら卓上電卓、コンピュータさんが働いてくれそう。
疑問が止まらず。
何はともあれ溶接の本を読んでみたんです。専門用語も多く、字を追っているだけではどういうことかすこぶる分からないまま。
このままでは専門用語に目を通して、うっとりと甘美に浸るナルシシズムもどきだ!
尻相撲をさせられたときのような恥ずかしさ!
最小単位へ落とし込む、リズムも考えもどれだけ細かく刻めるかにかかってくる。それは、ある種の最小単位への渇望。
そしてもう一つ、専門用語の大切さ、というか言葉を覚えるということ。事物の構造の理解だけではない、文筆活動、人間の器、もうひとつステップアップしたいなら。
虚栄心を満たすための知識はむなしいけど、専門用語に触れていたい、具体的にどうしたいとかではないのですが、変な意味じゃなくて、常に別の世界に触れていたいわけです。スナフキン風味に「人生を楽しみたいなら、知的好奇心を常に更新することさ」と言うさ。
自分で決めたことを書き出し、ただ実行する。
短文
自分で決めたことを書き出し、ただ実行する。
それは無機質である。しかし、感情が揺れる自分にとっては最良の過ごし方だ。ただ、その決めたことのために、手段を選ばずとなれば人足り得ないであろう。
また、どちらに触れても消失してしまうであろう。その針の穴を通す感覚をいつまでも続ければ、道はきっと切り開ける。行動を感情に持っていかれない、ビジネス本に書かれてそうな、常套句。
否、実行と理論の乖離を乗り越え普遍的な樹木の設立。どの葉も違う色を備え立派に。
栄枯盛衰、いつか枯れると知りながらも天に向かう。大切に穂を摘むように、束となった草木を植えるように。