日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「疲れてきた後のプラスワンで鼓舞する!」 最近のマッチョ小話。

最近のマッチョ小話

 

そこには、そこはかとなくマッチョな男が勢揃い。

お互いの筋肉を誇示し、疲れてきた後のプラスワンで鼓舞する。恥ずかしいと感じても漏れてしまう吐息はこの場にいる証だ。上昇する体温に滴る汗は必需品。赤面した顔からはいつも本気が溢れでてくる。気後れしていたはずが、気がつけば自らプラスワン。

 

上腕二頭筋やら胸筋やらに大きな負荷をかける。愛嬌のある観念は是正されていく。一日がふたつに分断される瞬間に出会い、嘆きは内側からやってくる心地のいい疲労に頬張られる。ベルトコンベアの如く動くランニングマシンと対峙する時、少しでも気をぬくとすってんころりんとしてしまう。目の前にはプラスの記号が書かれたボタンがある。マシンに体力を奪われているにも関わらず、その記号は挑戦を煽っているかのようだ。そいつを何度か押してやると、動く地面は地鳴りを上げ加速する。

 

地面の加速に合わせ走るも、思わず息が上がりそうになる。待ち合わせ10分前に目的の場所に到着する営業マンのようにペースを守りひたすら走る。すると、転機は自ずと現れる。横にいる痩せ型でスポーツ刈りの男の人は動く地面に傾斜を足して走っている。バタバタと足音を立てることもなく、静けさを知る忍者のように、いつまでもそこに佇む淑女のように存在する。

 

ストイックは静謐を呼び出し、周囲に驚愕を与えるようだ。ランニングマシンから離脱し、名前も知らないマシンに乗り込む。重さを調節し数十回も行うと筋肉は充足する。全てを終え食事にありつく時間は他にない。脚色の不必要性を教示してくれる。時が経過すれば、微睡みが安楽とともに向うからやってくる。幾分のサティスファクション。

 

そう、ジムに通い始めました\(^-^ )

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奇形(特殊)だからといって差別するのはいけないという理性(倫理観)」と「どうしてもグロテスクと思ってしまう感情」の対立。

哲学対話の会への誘い

 

聳え立つビル群、人ごみをかき分け進む。群雄割拠のこの時代、1億人のうち一体何人がLINEをやっているのだろう。老いも若きも、明朗な緑色を通して連絡を取るんだ。

 

椅子に腰掛け、ファミリーマートで買った薄味ポテトチップスを食べている時、「哲学対話の会」というグループラインの誘いがあった。興味深い。一つの話題に対し色々と対話を重ねていくというスタイルを貫くっぽい。心の中で猛虎を奮い「参加」を押してみた。

 

一つ目に提供されたのがこれだった。自分なりに思ったことを書いてみます。

 

奇形の顔「受け入れられない」家族が手術拒否、ミルク飲めず赤ちゃん餓死

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171105-00010000-yomidr-sctch

 

まず「醜いのは美しいより悪しきこと」という世間の価値が前提にあると思う。かといって、自分がその価値に侵されていないかというと・・やはり、侵されている部分はある。この記事を読んで思ったのは「奇形(特殊)だからといって差別するのはいけないという理性(倫理観)」と「どうしてもグロテスクと思ってしまう感情」の対立だと。それは、一人の人間の中で戦わされてしまうもの。

 

大多数の人が湧いてしまう感情、心はコントロールできないので、これは非常に難しいと思います。この医師の方は倫理感が強そうで、やはりその倫理感を作ったのは「命」に対しての価値観なのかなーと感じました。

 

すごく繊細で難しい問題。喜び・悲しみ・驚き、生きること。自戒。解放。「生きるべき」かどうか・・「生きるべき」というはっきりとした理論的な軸は見つからないけど、ほぼほぼの人間がそう思うこと、つまり「常識」の観点から見れば「生きるべき」と思う。それさえも、個々人の意見という。医師という職業は「生と死」のそばなので、私たちとは命に対する捉え方や感覚が違うのかなとかーも思いつつ。

人は基準がないと生きていけないのに、基準が問題を起こすというパラドックス

 

人と人が生きやすいように、「契約」という概念から常識は作られたのか。常識を疑えとよく言いますが、常識は秩序である時もある。(ない時もあるけど・・)

常識を疑いすぎると、いつのまにか混沌に浸かっていたりする。

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けんぞうさんとせんせいとパーティーに行きました。

パーティとカラオケ

 

今日は、日曜日。

アウリーモスキート、けんぞうさんと先生と四ツ谷アウトブレイクに行ってみました。鬼のようなパーティが巻き起こってました。贅沢ホリデイズはゴージャスと贅沢三昧でした。楽しかった。メンバーの2人は盛り場にいくと渋い顔しがちなので、とりあえず、ウィスキーロックで乾杯しました。やはり、顔は渋かった。そして、結果、私は酔いました。みんな、飲めるはずと言いつつ。 

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パーティを楽しんで、ラーメンを食べました。家系でした。すごい美味しかった。色々真剣な話を交えつつ、冗談を推しはかりつつ、飲みました。気がつけばこんな時間でした。うぅ、楽しかった。イベントに行く前、コンビニでお酒を買ってその辺、うろうろする感じとか、、めっちゃ好きなんです。いつまでたっても、中学生と行動は変わらずに居れる安心感。友よ、ありがとう。

  

日曜日にも関わらず、今日もハイテンションで一日を終えました。電車では、一昨日買ったイギリスで腰を据えたbob marleyを捉えた音源を聴きました。素晴らしい。音楽と戯れた後、やはり、音楽に戯れようと情報を得てパーティに行きました。

 

それはそれは、色々と書いてました。真っ向から挑むことで知れることもあると思いました。でも、その裏には知らないこともたくさんあるはずでした。bob marleyはその辺りを全部、許容てくれてるよ後のような。ボッーと電車で戯言を洗い出しつつ、今日も我がメンバーに救われつつ。

 

とりあえず、、、なんか、先生のカラオケの熱唱が今日も素敵だった。全然、あれだけど、友達とか嫁とかやっぱり明日への活力になります。一生懸命生きようっと。