日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

なにやら、お歯黒壷というのがあって、お歯黒の染料になる「かね水」というものがあるそうな。

好奇心のままに

 

一世代上の人とお酒を飲むとすげー楽しい。

気になることは質問できる。モツは元々固いんだって!!!カラオケいくとさらに楽しさ倍増。ザ・ピーナッツつのだ☆ひろ、など往年の楽曲を聴けちゃう。

  

そして、専門家に専門的なことを聞くとすげー刺激される。

今日、ちょっと用事があってビックカメラにいった。そこで、「公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団」がやっている個展に通りかかった。そこには歴史的文化財が並べられていた。縄文土器とか、昔の女性の化粧道具とか。

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解説員の方がすごく小話をしてくれた。お歯黒壷の話。なにやら、お歯黒壷というのがあって、お歯黒の染料になる「かね水」というものがあるそうな。そのかね水の出来方が興味深かった。お歯黒壷に鉄釘を入れて、混ぜる。鉄くずが入っているので、色が濁って黒くなる。それを歯に塗っていたそうな。何だか、意外に適当。

 

お歯黒は元々、偉い役人さん周りの女性がやっていたそうな。偉いことを示すための証明みたいなものとして、機能していた。それが、江戸時代にだんだんと民衆の元に降りてきて、庶民もお歯黒をしたそうな。しかし、明治に入って外国人がお歯黒を見て、「こわっ!!」ってなって、明治政府がお歯黒を禁止にしたそうな。

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うーん、興味深い。たまたま、ビックカメラに用事があったのに、これは面白いことを聞いたぞと。普段は、縄文土器やお歯黒のことを考えていないので、いい機会に恵まれた。知的好奇心を刺激されるのはやっぱり好きだ。

 

会話には流れがあるのは理解できるけど、どうしても知的好奇心が勝ってしまう。

気になる、気になる。それは、川の源流の如く、生えた根っこの如く、土台を作るものと思っている。

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「中身に意味はない。いかにそのものとして全うするか」 その言葉を吐いたまでのプロセスを・・。

言葉の断片を拾う

 

危ない、ハロウィンという言葉を一度も発さないまま今年の終わりを迎えそうになっていた。先週末、何も仮装せず渋谷に行ってみた。傘のせめぎ合い。雨降ってたからみんな開いて、ぶつかりげいこでごわす。

左を見れば、ポリスのコスプレ。右を見れば、パンバイア。この世は宝島。

むっちゃ高めのテンションの満員電車に乗っている気持ち。その気持ちをそれぞれにつゆしらず。

 

うーむ、しかし、何事もプロレベルの腕になるには、一朝一夜ではなれないのね。この情報社会、できる人をすぐ目の当たりにできる。なんだかそのスピード感のまま自分もできるのではないかと勘違い。

 

ピアノの鍵盤を数えてみて、「そんなに数ない!5本の指でどこかしらを弾けばいいのだろう。それを組み合わせるだけだ!!!」と強気に考えてみても、練習していないのでまあ弾けないんです。ただ、できる気がしたいときは全部の数を考えて、「そんなにパターンないやろ!?」と思ってみる。何事も。

 

そこから案外難しいことも簡単と考えられる。ただ「口で言うは易し」現象に陥る確率もぐんぐんと伸びます。笑

為せば成るけど、結局、為さねばならぬ。最近特に脈絡がない文章になっていますが、日記は尊いです。軸を無視しても日を記せば。曲がりくねってない文章は此の世にたくさんあるから、逆に・・\(^-^ )筆記の先の領域。

 

悲観と楽観の往復ビンタ。成し遂げるとはなんぞや。種田山頭火は「無理をするな、素直に生きれば人は人として十分生きていける」と言っていた。でも、ニーチェは「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」と言っていた。笹谷創は「中身に意味はない。いかにそのものとして全うするか」と言ってみた。

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「最近、気になるのは宙に浮いているということ」 最近の雑談です。

最近の雑談

 

先週の木曜日から怒涛の日々だった。

呑み、踊り、しゃべり、眠り。学び。ひたすらこれの繰り返しだった。音楽を中心として、いろんなコミュニティに行ってみた。人に会ったら、胸が熱くなる話もたくさんしていただいた。

最近、なんだか良い感じに声をかけられることが多い。嬉しい。がんばろ。

なんかやっと今日、落ち着いた感じだ。人様の行動は尊重すれども依存しないこと。

どのみち、マイペースを良い方向に転がす。

  

あくまで飽くなき自然体に。そして、最近また読書量を増やした。隙間イコール読書でやっていたはずが、気がつけばそうでもなくなっていた。なので、また隙間イコール読書生活に没入する。

  

文学に没頭していたはずが、文学への興味があの頃より薄れるとは。なんだろう。

今は文学より、なんかもっぱら科学とか数学とかコンピュータとかそういうのが気になる。科学とかに移りつつあるなぁーとは感じていたけど、最近それが激しい。

しかしながら、「客観的に収斂せよ」と標榜していて、それに近づくための行動と捉えている。それはいつも満ちずに獣道だ。

 

この「客観」というのもとんでもないシロモノ。人間の意識の上でしか成り立たないとか、当たり前だけど、主観の上にしかないとか。不動と考えていた「客観」さえも世界の認識の仕方で音を立てて崩れていく。認識はいつもこねくり回してくる。なんという、お友達だ。

こういうのは純粋な好奇心と考えているが「理解されたいがため」が含まれているのだろうか。無意識とは意識できない領域なのだからわからないものだ。染み付いたもの、無意識、ときに恐ろしいことは胸に刻みつつ。

そして、最近気になっているのは「海底ケーブル」と「電波」、あとは宙に浮いているということ。

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