知的活動も肉体活動も大切にしよう。
運動で区切りをつける
1日のリズム、同じことの繰り返し。再び、営み。
1日という区切りを感じることなく、瞬間を色濃くし途切れのない人生を生きるのも素晴らしい。ただ、区切りをつけるのも悪くない。
疲れた体に鞭を打ち、運動をしてみる。中途半端にではなく、久しぶりにフットサルに参加した時のような感覚で「いやあ〜、運動したなぁ」と呟く。自らの運動にマッスを感じるほどに。
そして、ヒンヤリとしたミネラルウォーターやらをごくりと飲む。あらよっと言わんばかりに丁度お腹が空く。コンビニで買った缶チューハイと烏賊の明太子を食べる。
気づいたら、心が回復している。そして、身体はいい感じに疲れ、そのまま気持ち良く夢の中へ。後は野となれ山となれ、探し物はなんですか状態。
惰性の中に真価を探し続ける行為にほとぼりが冷めたらなら、身体を動かし区切りをつけてみるのもありだ。「身体を動かす」とはなんと基本的な動作なのだろうか。
ちなみに、文明が起こる前からスポーツは行われてたそうな。狩りは生きるための行為だけど、身体を動かしていた。紀元前8世紀には古代のオリンピックが行われていた。悶々とした時はシンプルだけど、身体を動かすのがやはり良いと思われる。
知的活動も大切に肉体活動も重宝しよう。
話をぐるりと、、展開、、いや、転回!!
批評とはなんと難しき
批評というのは、とても難しい。現実にコンプレックスを感じ、身を守るための批評にあまり魅力を感じない。批評にもギャップが必要なのではないだろうか。小難しそうなことを言いそうな人(どんな人?)が小難しそうなことを言っても、耳を傾けにくい。小難しさのせめぎ合い、傷の舐め合いのようにはならないか。やはり、ギャップが必要な気がする。そうなると、批評といいながら、見た目や雰囲気も重要視される。
「批評に生産性は必要なのか」という問題も大きい。読んだ時に、ハッとさせられる時と、哲学こねくり回しすぎて、わからへん!となる時がある。批評だけではないけど、伝えるとはなんと難しいか。独りよがりが悪いとも言い切られへんし。
それはその人の幸福になっていれば、それはそれで良いのか。
言葉をいくらなぞっても、自分に落とし込んでいないと力は出てこないのか。小難しい本に傾倒する心と「結局何が言いたいねん」と思う心を持ち合わせるべきなのか。
人間の機微が感じられないような批評はやはり聞きにくい。
言葉尻にやられるのではなく、人の襞、機微を大切にしましょうという話(´Д` )つ
デザインは使う側がいてこそ、初めて成り立つ!
デザインとは
デザインにより、ある情報を得られることがある。そう、情報を伝えるためのデザイン、身の回りのデザインは情報の展開であるといえる。服のデザインも個性を周囲に伝えているといえば、情報の伝達でもある。
集約して、整理して、新たな価値に組み替えるのも、言いようによっちゃあデザイン。
デザインによる価値の発見!そして、
作る側でなく、使う側のことを知らなければ良いデザインは作れないんじゃないか!と、本に書いてあった。障害者の人などのために作られたユニバーサルデザインなど、まさに使う側のことを知らなければいけないデザインでごわす。
美を追求した彫刻は観察するもの、観察するためのデザインと使用目的があるデザインは「作る側の思考様式」と「使う側の行動様式」の対比と捉えられる。(作ると使うという部分が対比!)
表に裏があるように、観察するに観察されるがあって、作るに作られるがある。作られるなどは物質からみた視線。当たり前だけど、みる-みられる つくる-つくられる という関係性が成り立つ。つまり、行動とは必然的に関係性が生じる。
・・今、「だからなに?」と自分ですごく思ったけど、それをいえば哲学チックなことが書けない。
裏側からの視線
そして、泳げたいやきくんとかゴリゴリ、たいやき目線ですね。。
毎日毎日、僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ
たいやきの気持ちを余すことなく、伝えてくれています。カスタード味めっちゃ好き。
最近、すごく切ない歌詞を発見しました。キンモクセイさんの「兄ちゃんの唐揚げ」という歌のなのですが・・
兄ちゃんが帰ってきました 今までに見た事のない顔して
兄ちゃんは帰ってくると すぐに部屋に閉じこもってしまいました
弟目線なのか、お母さん目線なのか、とにかく、哀愁、、えぐい´Д` )。。
哀愁のすごさに続きが書けないので、この辺でおさらばです!(´Д` )っb
悲観と内向は朝を迎える頃、希望と決意へと変わっていく。
こないだ、ガキの使いを見た。渡辺直美さんの七変化が面白すぎて死ぬかと思った。「好きなお寿司のネタはとびっこです」と宣言し始まった。ど下ネタでしかないけど、爆笑した。腹がよじれた(´Д` )
しかし、6月に入ってブログの更新率がすこぶる悪い(´Д` )!
その分、シコシコと動き回っています。地球内を。
素晴らしい乳房だ。蚊がいる。 のメンバーでスタジオに
先週の日曜日は千葉の船橋に行って参りました。
「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」のみんなで今度のイベントのためにスタジオに行ってみました。こんな大人数で話し合いに発展しているとはお酒のノリで結成した当時からは考えられないでごわす。(´Д` )b
(鏡の効果で何人おるかわかりにくっ!)
まず、怠惰先生やら式部ちゃんやらが、作ってきたビートのレベルの高さに驚いた。健三さんが歌えば、心地よい風が吹く。どう考えても、太郎さんの感覚は秀逸。うん、こんな色濃くて素敵なメンバーを集められた乳房に乾杯。揉みしだくことにしたよ。もはや、自画自賛の領域。乳房の成長率!
メンバーのことを褒め奉りあげたいこと山の如しですが、それはいつか同ブログ内で決行します。笑
MVとか曲もガシガシと出して、動いていこう。
緊張と緩和を繰り返し、昔を懐かしみ、新しさを受容する。
「ことあるごとにみんなで祝勝会を行う」という人生を歩みたいたちの人間、そのためにもダラダラした気持ちを喝破する。女神が爆笑するほどの何かを成し遂げたい(´Д` )
悲観と内向は朝を迎える頃、希望と決意へと変わっていく。