デザインは使う側がいてこそ、初めて成り立つ!
デザインとは
デザインにより、ある情報を得られることがある。そう、情報を伝えるためのデザイン、身の回りのデザインは情報の展開であるといえる。服のデザインも個性を周囲に伝えているといえば、情報の伝達でもある。
集約して、整理して、新たな価値に組み替えるのも、言いようによっちゃあデザイン。
デザインによる価値の発見!そして、
作る側でなく、使う側のことを知らなければ良いデザインは作れないんじゃないか!と、本に書いてあった。障害者の人などのために作られたユニバーサルデザインなど、まさに使う側のことを知らなければいけないデザインでごわす。
美を追求した彫刻は観察するもの、観察するためのデザインと使用目的があるデザインは「作る側の思考様式」と「使う側の行動様式」の対比と捉えられる。(作ると使うという部分が対比!)
表に裏があるように、観察するに観察されるがあって、作るに作られるがある。作られるなどは物質からみた視線。当たり前だけど、みる-みられる つくる-つくられる という関係性が成り立つ。つまり、行動とは必然的に関係性が生じる。
・・今、「だからなに?」と自分ですごく思ったけど、それをいえば哲学チックなことが書けない。
裏側からの視線
そして、泳げたいやきくんとかゴリゴリ、たいやき目線ですね。。
毎日毎日、僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ
たいやきの気持ちを余すことなく、伝えてくれています。カスタード味めっちゃ好き。
最近、すごく切ない歌詞を発見しました。キンモクセイさんの「兄ちゃんの唐揚げ」という歌のなのですが・・
兄ちゃんが帰ってきました 今までに見た事のない顔して
兄ちゃんは帰ってくると すぐに部屋に閉じこもってしまいました
弟目線なのか、お母さん目線なのか、とにかく、哀愁、、えぐい´Д` )。。
哀愁のすごさに続きが書けないので、この辺でおさらばです!(´Д` )っb