「道は常に無名なり」 玄侑宗久の著書を読んで
こんにちは、古今東西、獅子奮迅の哲学ぼうやです。
冒頭から意味もなく、四字熟語をかましました。いや、意味などは人間が勝手に生み出した悪魔の産物なのかもしれません。時に絶頂的な喜びを成らしめ、また時には諸悪の根源ともなります。
好きな子に告白した時に言われる「OK」と、謝り倒した後に言われる「OK」は同じ言葉の括りなのですから。前後の文脈をすべて消し去ると「OK」は同等なのです。
限定を生む言葉は可能性を消しているわけであります。
概念を受け取る意識すら消す、自主性を持ちたいものです。
それは「こうだからこうなる」といった因果からは生まれません。
主体がないという意識すらなく、共時性を持っているものとでも言いましょうか。
玄侑宗久の著書を読んで
と、、冒頭からやたらと張り切って語っているのは、完全に・・・この人の本の影響を受けています!!!
めちゃめちゃ面白い( ^ ^ )/涙
格式張った感じが全くなく、なんか優しさに溢れている。すごい深いところまで行っているのに、とてもわかりやすく伝えてくれている。玄侑宗久さんは小説も書いているそう。面白そ〜。
この本の途中に出てきた老子(中国の思想家)の「道は常に無名なり」という一言に感銘しか受けていません(´Д` )深いいいいいい思想。(スイッチを前に押す)
しかし、私は哲学チックなところがあるのに、これまでの人生を振り返ると哲学書をきちんと読んだことがあまりない。どっちかというと、文学にはまっていた。気がする。
これは哲学書にのめり込む時が来たのかもしれない。イデア、イデア。
数年前に比べると合理性に走らなくなった。合理性の先の境地を探しているというか。「そういうものは言葉の綾だろ」と数年前の自分は思っていた。しかし、今は全然そうは思わない。
齢を積もらせただけはあるのか。
しかし、すぐに影響を受けるミーハー心だけは拭えない。
「笹谷さんって趣味は何なんですか?」
「哲学です」
今シーズンは、これでいこう(´Д` )
1人、気持ちの良い朝を迎えよう。
「春よ来い」「春よ来い」そう願い日々を過ごすわけでございます。
最近はもっぱら23時ぐらいに寝ています。7〜8時間ぐらいは寝ています。うん、毎日すこぶる体調が良い。
おいどんは、起きている時間に眠たくなるのが嫌なんです。
起きている時間は、積み上げたものぶっこわしたいし、身につけたものとっぱらいたいわけです。
気持ちの良い朝
お気に入りのバナナと温かいココアに舌を打つ。カーテンからは春を迎える準備をしている日が差し込むわけです。そんな瞬間に彩りを与えてくれるのは、The Animalhouseの「Always Be」です。
レコードのプチプチ音から始まるイントロ、メロウな雰囲気が太陽と溶け合うわけです。1人、完全に気持ちの良い朝を迎えています。
私は暖かい島でボッーとすることによく思いを馳せていますが、条件が揃えば埼玉県でも擬似的な状況を作り出せると気づきました。
というわけで、独断と人となりによる気持ちの良い状況の作り方発表です(´Д` )!
レシピ
・前の日、早く寝る
・バナナを少し剥く
・ココアを作る
・晴れている朝を迎える(日が入る部屋にいる)
・メロウな音楽を流す
・「自分は気持の良い朝を迎えているんだ」と自覚する
・湯船に浸る感じと同じようにリラックスする
それぞれにリラックス方法はあるかと思いますが、ぜひバナナを食べてみてください。美味しいです。
最近は理論武装みたいな記事が多かったので・・くだらない記事でひとやすみ。一休み(´Д` )すきすきすきすき すき すき いっきゅうさ〜〜ん!!!!(´Д`
モチベーションが上がるっ!! Future Ship Japanというシェア会に行ってきた。
今日はバレンタインじゃないですか(´Д` )
学生の時が一番意識していた気がする。ここ最近、バレンタインという単語すら口にだした覚えがないです。バレンタインということに今気づくぐらいの感じです。あら、ひどい( ^ ^ )/
その話は、あの大きな空へ投げつけておき、、
いざ、茅場町へ
先週の土曜日、お知り合いの方のシェア会に行ってまいりました。
私はある程度自分のスタイルが決まっており、偏屈で純粋な人間なので自己啓発の匂いがする「セミナー」的なものにあまりいいイメージを持っていなかった。行かず嫌い的なところはあったかと思いやす。
行かず嫌いというのは良くないので、一度、少人数制のセミナーを受けてみた。
自己啓発というより、学問という感じがした。(どこまでが自己啓発でどこまでがそうではないかの線引きは難しい)
感覚的に捉えていることを体系化してくれていた。勉強になったし面白かった。
先週の土曜日のやつは、100人規模のシェア会だった。
遅れていったのですが、入った瞬間からものすごい熱気だった。「うぉ〜〜!」と地を這うような声を張り上げている人がたくさんいた。一人ひとりが舞台に立ち順番に20秒ほど話すコーナーがあった。
20秒だけど、100人規模の前で話すことはそうそうなかったのでいい経験になった。
「人前で話せるというのは教養だよ」と思う心が刺激された。
「自分のことを語れるのは大切だよね」と思いながらみなさまの話を聞いていた。もはやイベントでした。
さらに、チームに分かれてワークと呼ばれることをしてみたり・・と。
その中では、知らない人同士でハイタッチしたり、大きな声で意思表明したりもした。
これを「変」と捉えることもできる。
なぜ「変」と思うのか。それは多分、普段、知らない人同士でハイタッチしたり、大きな声で意思表明したりする場面がないからだ。うん、それだけだ。
特に何でもない私はハイタッチをしたり、大きな声を出すとどういう効果があるのか分からない。ただ、モチベーションが上がるのは間違いない。さらに100人規模なのでワクワクする。周りのみなさまはもう大人なんだけど、子供の頃の遠足を思い出すような感覚で取り組める。
後は本当にスッキリするというか、笑顔を作っておけば勝手に楽しくなる理論ではないかと。形から入って、いい状態になっていく効果もあるのではないかと。
私は途中参加だったから、全てを体感したわけではないけれど、すごく感動したことがあった。それは、運営サイドの「いい日にしよう」という真剣さだった。壇上に立つ人・立たない人関係なく、「来てくれた人が楽しめるように」というスタッフさんの心遣いを感じた。
その心遣いが会場の空気を作って、過ごしやすい場所になっていたはずだ(´Д` )
イベントやパーティーの主催、会社の起業、どんなものであろうと人様に当たるときに必要不可欠な心配りを感じた。それが何より心を打った。
細川さん、ありがとうです(´Д` )!
P.S
関心あることに感動し、関心がなくなるとアパシー状態へ(´Д` )涙
「それは種の問題だ!!」と開きなおる自分のちっぽけさをまた思い知ったよ( ^ ^ )/