心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

"普通に暮らす"ことはそんなに簡単なことではないと、あの時インタビューで聞いたことが頭に浮かんだ。

2020/04/05

 

普段、週に3,4回は音楽を聴きにイベントへ出かけたりする。

そこでいろんな人に会ったりしていた。そういうのがめっきりなくなった。

土曜日と日曜日はほぼ家にいた。エネルギー、力の使い所がまったくわからない。家でひとりでいると、いつも謎の悲観的な波が押し寄せる。その波をウィスキーで防ぐという悪循環が続く。

 

今日の午後、ぼさっとしながらノンフィクションという番組をみていた。元受刑者を受け入れる北海道の札幌市の会社が取り上げられていた。採用しても結構、すぐに辞めたり再犯してしまったりしていた。ギャンブルやお酒のお金欲しさに、そうしてしまうらしい。

さまざまな形はあるが、人間は依存する生き物と思っている。依存の対象を間違えると、日々をきちんと暮らせなくなる。

自分の場合は、ただイベントへと出かけていたりするだけなのかもしれないが、立派な依存だったように思う。依存、年をとると自分の線が濃くなり、戻れなくなる。

そういうものがあると仮定して認識させる教育(学校で教える?道徳の時間?)があれば、一般的な意味での不幸な人は減るのではないだろうか。

 

"普通に暮らす"ことはそんなに簡単なことではないと、あの時インタビューで聞いたことが頭に浮かんだ。

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