極端というのは魅力であり砂上の楼閣である
遂行
何かを成し遂げたいのならば、どこか諦めに近い、変な自信というのは必要と思う。
それでいて、自分を自分で殺さず。天狗になるとかではなく、また、人への尊敬を忘れるということでは絶対なく。足るを知り、冷静に大胆に、言葉尻だけだと、矛盾が生じるぐらいでいい塩梅。
人間は、良くも悪くも感情に左右され、気まぐれな生物。
こう言っている自分の意見も明日には、変わっているのかもしれない。変わっているものが多くても、奥底に変わらないものがあるはず。それが根。根のないところに、最終、花は咲かないように思う。感じたことをこうやって、つらつらと書き殴りたくなるところに弱さがあるのかもしれないけど、素直さから変革は起こると感じる。本音。
ただ、その素直さに甘えれば瞬時に消えていく。それは、驕りであるから。
これは自分への戒めであり、それでいて、首を絞めすぎない。極端というのは、栄枯盛衰、滅び消えていく。砂上の楼閣である。保守的とかそういうことではなく。とりあえず、今はできることをしよう。世のためとはなっていないのが、少し、歯がゆいが、徐々に。
やあやあ、精を出して生きよう。