日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

人は人の中でしか呼吸をできないよ。

コツコツ

 

前からちょろりと計画をしていた取材を始めようと思い、246さんと話し合いました。同じものに対して違う見方、捉え方をするというのは基本、価値の再発見であり、違う風に見えてくる、まさに取材の醍醐味。取材のことを考えたら、なんか心踊ったり。やっぱり、そういうのが好きなのだなあ、血は争えないと思ったり。

 

と・・いうことでそちらの方もまずは手探りながら進めていこう。浅草でのトークイベントを企画したり、何かと忙しい日々を過ごさせていただいてありがたき幸せ。

 

一方、頭から湯気出そう、感情がいかんせん追いついていないけど、どちらにしろ、感情を信用していたら、人のためにできなさそう、大人へのステップアップ。自分のことも人のことも大切に。人も自分もけっきょくは同化しているのかなとか、ふと思ったり。(なんか、仏教的な感じですが・・)

 

土曜日は久々にオールナイトした。すごく楽しく、次の日、虚無に襲われた。

修学旅行に行った帰りみたいだ、淋しい。音楽家として尊敬する人と連絡してて、「虚無の補充」というありがたいお言葉を頂戴した。その視点はなかった。

「虚ろ」さえも必要と感じるその度量。包括的にできれば。

 

だんだんと年を重ねると、丸くなるのか、最終的に決めるのは自分だが、とかく人の意見を素直に聞いた方がいいと強く思えるようになった。聞いた上でなんやったら、反論するぐらいがいいコミュニケーションになるのかも。

 

「相手をどう扱うかはその人の課題」という言葉を聞いたことがある。冷たいようだけど、人間的成長に必要不可欠なことだと思う。事象の落とし所ばかりに目をやるのではなく、謙虚に尊敬を持って接して。

虚勢は瞬間の武器としても、そのうち見破られるもの。

人は人の中でしか呼吸をできないよ。

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