心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

本質的なものの評価軸を社会に根ざしていきたい

還元

 

確実に変わっている。過去、思わなかったことを自然に考えている。流転。変わらないものもあるけど、変わるものもある。進化か退化か、不明なれど変化している。あの日見たすごい貫禄の大人、今出会えばどう感じるのだろうか、少しは大きくなれたのか。日々はいたって繰り返しながらも、優先度を後回しにしていたことに興味が湧いたりと、確実に何かが肉付けされている。


違いそのものではなく、その違いの使い方で真価が問われる。いつも揺れていたものが、揺れなくなりつつある。この人生を持って何を伝えられるだろうか。伝えるということは人間の最たる発明で、叡智に富む行為なように思う。

 

具体にまで落とし込めていなく漠然としているが、本質的なものの評価軸を社会に根ざしていきたい、という想いがふつふつと湧いている。しかし、それぞれが自然な在り方で生きて世が成り立っているとすれば、評価軸を作るというのはえらく不自然なものの投入になるのではないか。む、そもそも変化というのに自然も不自然もないのか。どちらにしろ、無常だから気にせずなのか。

 

また、物事をどう伝えるのか、人は賢いのか、愚かなのか。両面がありすぎてよくわからなかったり。ううむ、さらに目を凝らす。一個人の幸福と、世の中全体における幸福。誰かが笑えば誰かが泣くのか。理想、現実。悩ます、よりとかく行動。

 

いずれにしても、貰う側から与える側へと感覚が移っている。還元。この人生を持って何を伝えられるのだろうか。伝え方に工夫を凝らさないと、独り言の青天井。

感覚を感覚以外と呼ぶことが難しく、抽象的な拙い文の羅列に汗顔の至り。

  

「ユーモアを忘れたリーダーは破滅への階段を登った」という今自分の頭に浮かんだ一文を自分で噛み締めよう・・。

なだらかな自慰行為にて今日は失礼いたします><!

 

(2018年・東京)

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