独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

人だからでしょうか。人だからでしょうか。

何なのか

 

四角に三角、線に楕円に点。 
分類に性質、パンが好きな男性。ライスが好きな男性。

厳密に性質自体に価値があるのではなく、性質が実際に役立つことを前提に、性質に価値がある。 

それならば、美しいや綺麗といった感想はどこからやってくるのか、「この状態に近しい」もしくは「美しいと自らが無意識的に決めている、ある感情を美しいと呼んでいるのではないでしょうか。

 

説明が難しいため、その感情をAと置き換える。

変数的な、ひとつの定義の出来上がりか。話が飛びまくりですが、言葉の成り立ちもそういったことに近しいのではないか。状態を記号にして、人はコミュニケーションを図る。根本はそこにあるかと。

 

客観的な分析は情感を消し、作品らしさをすり減らすのかもと思いながらも、その奥にある分析を行ってこそ、孤高の作品が出来上がるのかもと。組み合わせ、同じ曲をかける、同じ言葉を吐く、それなのに見えかたが違ってくる。しかし、作品至上主義、何のために。物質的なものを得るためか、承認欲求を満たすためか、一番奥にあるのは、何のためか、何のためか、人が人を支援し、喜び、悲しみ、ともに住み、別れ、殴り合い。生き物は生き物らしく、「何のため」とかではなく、生を全うすべきなのか。なぜ考えるのでしょうか。なぜ、働くのか、なぜ、音楽をするのか、疑問とは何なのか。

 

人だからでしょうか。人だからでしょうか。

f:id:sasaworks1990:20180713001723j:plain