独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

ヴァージニア・ウルフさんの小説「燈台へ」を読んで

燈台へを読んで

 

ヴァージニア・ウルフの時代が到来しました。

全く知らない状態で、ヴァージニア・ウルフと聞くと強面プロレスラーを思い浮かべそうになりますが、とんでもございません。

心の扇動、いや、心の先導、いや、心の仙道、いや、、、ヴァージニア・ウルフです。

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小説を読んで久方ぶりに胸がポッと熱くなった。物語を風景描写や行動から紡いでいくのではなく、あくまで人々の流れる意識を中心に描く。時間感覚失うような。それは小説にしなければ、「お父さん怖かった。お母さんは、気を使って場を回している。10年経った・・」ぐらいの話です。なんでもないような日常に焦点を当てて、瞬間の気持ちをわざわざそこまでえぐりこまなくてもと思う節があった。

 

正直、序盤はすごく読みにくかった。「みんな、意識の中から出てこうへんやん!あかんあかん!」と思っていた。読み進めているといつの間にか吸い込まれた。特にトーンが変わるわけではないけど、最後らへんはハッピーエンド感があったのがよかった。

 

意識にえぐりこんだ小説は、えぐりこんだまま終わるパターンをよく見かける。

一線を画していた。惚れ込んだ勢いのまま、ヴァージニア・ウルフさんのことを調べてみた。幼い頃から性的虐待を受けていたり、鬱を繰り返していたりと想像を絶する道を歩んできたようだ。その気持ちと同一にはなれないけど、そういったものがあの文章を作ったとも言えよう。

 

繊細な美しさの裏には破壊された人格。

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自分自身も多少なりとも繊細な部分はあるけども、ここまでかと問われるとそうではない。後書きに連ねられていたヴァージニア・ウルフさんのコメントが心に残る。

 

生は意識を持ったその最初から終局に至るまで、われわれをとり巻いている半透明な暈、燦然と輝く光彩(ルミナス・ヘイロウ)、である。

この定まらぬ、未知の、捉えがたい精を書きあらわすことが、小説家の仕事ではないだろうか?

できるだけ、余分な皮相的なものを混えるのを避けることによって、たとえそれが、畸形に、複雑に表されるかもしれないにしても

 

なるほどなああと(´Д` )

曖昧で釈然とせず、次の瞬間には変わるボコッとしている、そんなものを書き表すのか。この辺りを掘っていこう(´Д`つ

ルミナス・ヘイロウに愛を込めて。

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