「道は常に無名なり」 玄侑宗久の著書を読んで
こんにちは、古今東西、獅子奮迅の哲学ぼうやです。
冒頭から意味もなく、四字熟語をかましました。いや、意味などは人間が勝手に生み出した悪魔の産物なのかもしれません。時に絶頂的な喜びを成らしめ、また時には諸悪の根源ともなります。
好きな子に告白した時に言われる「OK」と、謝り倒した後に言われる「OK」は同じ言葉の括りなのですから。前後の文脈をすべて消し去ると「OK」は同等なのです。
限定を生む言葉は可能性を消しているわけであります。
概念を受け取る意識すら消す、自主性を持ちたいものです。
それは「こうだからこうなる」といった因果からは生まれません。
主体がないという意識すらなく、共時性を持っているものとでも言いましょうか。
玄侑宗久の著書を読んで
と、、冒頭からやたらと張り切って語っているのは、完全に・・・この人の本の影響を受けています!!!
めちゃめちゃ面白い( ^ ^ )/涙
格式張った感じが全くなく、なんか優しさに溢れている。すごい深いところまで行っているのに、とてもわかりやすく伝えてくれている。玄侑宗久さんは小説も書いているそう。面白そ〜。
この本の途中に出てきた老子(中国の思想家)の「道は常に無名なり」という一言に感銘しか受けていません(´Д` )深いいいいいい思想。(スイッチを前に押す)
しかし、私は哲学チックなところがあるのに、これまでの人生を振り返ると哲学書をきちんと読んだことがあまりない。どっちかというと、文学にはまっていた。気がする。
これは哲学書にのめり込む時が来たのかもしれない。イデア、イデア。
数年前に比べると合理性に走らなくなった。合理性の先の境地を探しているというか。「そういうものは言葉の綾だろ」と数年前の自分は思っていた。しかし、今は全然そうは思わない。
齢を積もらせただけはあるのか。
しかし、すぐに影響を受けるミーハー心だけは拭えない。
「笹谷さんって趣味は何なんですか?」
「哲学です」
今シーズンは、これでいこう(´Д` )