独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

『調和への道』 〜良き人間関係へ〜 価値観はさらけ出せ!受け入れろ!

違うものだとしても、価値観を認め合いたい。

というか、価値観をさらけ出して、価値観をさらけ出されて、自分のことを棚にあげず、お互いに意見を言う。そうやって人間関係は形成される気がする。

 

さらけ出さないとストレスを持ってかえることになる。

 

それが愚痴になったりする。愚痴になるぐらいだったら、その人と価値観を戦わせた方がいいのではないか。もちろん、理性的に。知らない価値観は視野を広げてくれるし。と、すると、けっきょく人間関係を構築するなら本音がいいと思う。こちらが本音だと相手からも本音が返ってくる、その言葉に傷ついたとしても、それを判断するのはこちら側の問題である。自由には責任がついて回るように、本音は受容とセットでないとダメな気がする。相手の価値観を受け入れる。自分の心を吐き出し、相手の心を受け入れないと、距離感がおかしくなる。こちらの価値観が全てになると、ただの支配・被支配の関係である。

 

「相手に尊敬の念を持っていればだいじょうぶ」ということをおっしゃている方がいた。「確かに」と思った。尊敬を持って価値観をさらけあいだすと、いい落としどころが必然的に見つかる気がする。きちんと距離感の取れた『調和』がそこにある。

 

「こう思われたらどうしよう」と考えてしまう自分、さらけ出すためには勇気がいる。

それを表現するためのツールを持つのもアリだ。

 

僕が音楽、写真、文章をやっている理由はそこらへんにありそうだ。(どこらへんか、わかりにく〜〜)

 

(↓なんか食べた後のお箸めっちゃ見つめてる〜〜〜)

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