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独りぼっちのささじぃ。

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「文体と歌声は同じところからきている」 影響と分析とスタイルについて

新発見・発想の転換

手島葵と書いて奇跡と読むのでしょうか。

高尚的であり、清らかさも不憫さも兼ね備えた歌声です。

手島葵を聴覚に有しているときと、高級なホテルの一室にある真っ白なシーツに包み込まれたときは同じ感覚です。

 

侵してはならぬような処女性がたっぷりなのです。

 

www.youtube.com

 

歌声と文体は同じところからきている

 

やたらと突然ですが、歌声(歌い方を含む)と文体って同じだと思うんです。

だからなんだというわけでは一切ございません。

自分のスタイルを作りたいとき、歌い手は好きなアーティストの歌い方を模倣しようとする。意識的ではなくとも、影響を受けているわけであります。

 

もちろん、模倣してもその人にはなれません。結果から言うと、影響を受けた人+自分の歌い方がミックスされます。自分の歌い方は何によって決まっているのか。

それは感性、性格、思想から出来上がっているように思います。この辺りは的確な言い回しが思いつきませんが、大体そういったものから成り立っています。

 

何かそういうのは、同じところから端を発していると思われてならないのです。

 

自分と全然違うスタイルの人を模倣しても、何か落としどころに困るような気がします。これは、そっくりそのまま文体でも言えますね。言葉では表しづらい根源的な「何か」、心というのか種というのか、結局そこが判断しているのでしょう。

 

今回は小説家とアーティストを例にとりましたが、技術的なものであれば大体どの職業にも言えることでございます。「何を当たり前なことを抜かしてけつかる」と思われるかもしれませんね。

 

自分の話をすると「スタイル」をたくさん収集して、良さそうなものを自分に突っ込んでいく!という感じです。基本的に圧倒的にセンスのない自分は、分析だけは怠らずしてきたように思います。微妙なニュアンスを汲み取り鍛える。

 

なぜ、そんなことをするのか。

「自分で自分を納得させるために」・・というと、月並みでございますね。

 

分析癖は生きにくくさせる要因にもなりますが、個性を普遍性に変えるためにはそこを乗り越えなければならないのです。そして、手島葵の歌声に乳房が揺れそうです。

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最後の一文、申し訳ありませんでした。

「堀口Hくんの詩心が炸裂」 【素晴らしい乳房だ。蚊がいる。】の一行で川へ行きました。 後半

とにかく雑記

菅沼神にボールが集まってくる

 

ちょうど一週間前ほどに書いたこのちぶかがの記事。

sasaworks1990.hatenablog.com

 

簡単に状況を説明すると

「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」でBBQをおこない、式部ちゃんが乳房に巻き込まれて、生キャベツで盛り上がって、怠惰先生が来て仕事がはかどって、菅沼神が自然に帰っている状況でした。

 

菅沼神のすごいところは、話題を全部かっさらっていくところです。

そう、菅沼神に自然とボールが集まってくるのです。

民である私たちがぺちゃくちゃぺちゃくちゃやっている時、菅沼神は海を見つめています。ベールに包まれまくっています。

 

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自然主義な菅沼神、ちぶかが内でピアノが超うまいと噂が流れていました。

「弾いてみて」というと、なんだかんだ弾いてくれません。全然弾いてくれないのに「まあいっか」と思わせられてしまいます。

 

一眼レフを与えると自撮りを始めます。菅沼神の本質はギャルです。

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全然関係ないタイミングでキーボードを5秒くらい弾いています。

その5秒でずば抜けていると理解しました。

 

この写真も不思議です。往年のアイドルのセクシーポーズにも見えるし、リビングでくつろいでいるおっさんにも見えます。合成写真にも見えます。菅沼神の本質はだまし絵です。

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このままいけば菅沼神にブログを埋めつくされてしまいそうなので、BBQの話に切り替えます(´Д` )笑

 

堀口Hくん 詩のセンスが炸裂

 

そうそう、川辺で曲作りをしていました。

ここで、やっと堀口Hくんの詩のセンスが炸裂しました。これは自分には書けないなと。

 

庭木に目をやり 昨夜を想い ざわつき

微かな後悔混じり 白日はいつだって気恥ずかしい

知らぬ間に苔青々と 季節の充実を告げる 

せわしなさの中でも

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素晴らしいの一言。ここは本当に尊敬っ!!

最後には、怠惰先生とH(堀口)くんと私で詩を共作したりしました。

 

わてらは、文学部かっ!!!!

 

とまあ、平和にBBQは終わりました。全体的に楽しかったです(´Д` )b

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そして、哲学的で高圧的じゃない書道家と革新的で高圧的じゃないデザイナーを乳房に巻き込みたいものです(´Д` )。。

 

乳房、乳房、とはなんぞやという方のために、これまでの「素晴らしい乳房だ。蚊がいる。」の歴史を載せておきます。

 

 1.「ちぶかが」発足

sasaworks1990.hatenablog.com

 

2.「ちぶかが」盆栽村にいく 

sasaworks1990.hatenablog.com

 

3.「ちぶかが」 メンバー増殖

sasaworks1990.hatenablog.com

 

 4.「ちぶかが」シンポジウム開催

sasaworks1990.hatenablog.com

 

 

 4.「ちぶかが」BBQ前半戦

sasaworks1990.hatenablog.com

 

 

ご拝読ありがとうございました(´Д` )っ 

ぴげらざ(´Д` )つ

 

 

「解釈と創作は別物だ!」  レンブラントの本を読んで

ほろっと読書感想文

レンブラントの本を読んで

 

名前だけはめっちゃ聞いたことあった画家「レンブラント」についての本を読みました。レンブラントさんは16世紀末から17世紀初頭にかけて誕生した美術の様式であるバロック期に活躍した画家だ。「光と影の明暗を明確にする技法」で有名ですね。  

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私はここらの時代の画家は芸術が常に爆発しているぐらいの勢いがあると信じていた。しかし、実際は職人的気質も甚だしいではないか。写実的に描くなどというのは基礎を固めた上でしか成り立たないのではないか。土台がないと芸術の花は咲かない模様。

 

そしてもう一つ注目したいのだが「解釈」問題。

「主題をどう設定するのか」これは作品を作る上で重要になってくるようだ。

 

言葉を扱う文章などはその最たるものだけど、「解釈」というのは制限がない。

例えば、私がほじった鼻くそを机になすりつける。机の上に鼻くそがある。(例えが汚くてごめんなさい。)

 

解釈を使用すれば

  

どこまでも広がっていくような木目の光沢。

その中心点に置かれた生命維持から排他された薄緑の無機質な垢。

 

と言える。

 

つまり、何が言いたいかというと「作品の創作」と「解釈」は別物であると。ただ、えげつない作品を作る人は「解釈」もとんでもないという因果関係は存在するけども。そして私は批評家というのは「解釈のプロ」と思うわけでございます。

 

作品を創作していた人はそこまで主題を意識しているのかという疑問が残るわけです。これは、作り手のタイプによるのだろうか。自分が何かを創るときは、特に主題など考えずに製作します。主題はこれまでの思考に組み込まれていると信仰しているからです。

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そして、話が逸れてきたのでしれっと戻します。

 

こういう世界では当たり前なのか、弟子たちが書いた絵をレンブランド名義で世に発表していたりするそうだ。異常にお金を出してくれるパトロンの出現だったり、文化が生活に密着しているところが面白いですね。レンブラントさんも破産したり、財産を担保に出したり、なかなかなものです。

 

近代のヨーロピアンの市民生活とは

 

もし一度だけタイムスリップができるなら、ルネサンス宗教戦争辺りのヨーロッパに行ってみたい。むしろ、今からでもヨーロッパに行きたい。本を通してしか敬虔なクリスチャンに会いに行っていない。どこをどう歩いても、絡んでくるキリスト教を肌で感じてみたい。

 

その強大な対象は信仰され、政治に酷使され、歴史を紡いできた。

何やら本を読む限りでは、処刑が串刺しだったり目も当てられない残酷さもある。

 

貴族たちの豪快な生活の裏にあった市民生活はどのようなものか。どのように共同体を組み、どのように暮らしていたのだろうか。ローマ、ヴェネツィア、フィレンツ・・・頭に詰め込んだ知識ではなく、体感として知りたい。

 

お互いを助け合うために作られたコミューン。

相互防衛や相互扶助のために作られた共同自治体も日本の近所づきあい的な雰囲気はあったのだろうか。通りすがりに「こんにちは」とぎこちなく会釈をしたのか。そうではなく、週に何回か集まりバチバチの議論をしていたのか。

 

謎だらけ。ああ、ヨーロッパ。

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