日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

2021・10・19

日記

 

昨日、ぐっすり眠ったおかげか体調がすこぶる良い。やはり睡眠は大事と痛感して気が付けば夜更かしする人間。(習性)
起きて、次のライブに向けて popi/jective の仕込みをした。サンプラーを使ったライブは何度かしていて、その時は即興的に音を構築していく手法で行った。popi/jective は曲ありきなので、曲+α、ニュアンスを加える幅を残して、その中で試していく形になる。さあ、どうなる!!明日はスタジオ、”その瞬間の最善を選ぶ”は前提として、何かヒントをつかめれば嬉しい。

松坂選手の引退をみて、自分は平成の人であったと再認識。Z世代という言葉の意味もよく知らないまま、令和に突入している。「松坂選手の顔ってあまり変わらないのね」と思いつつ、夜は zoom で友直さんとKさんと聖書を学んだ。

神は北の空を何もない所に広げ、地球を空間に浮かせている。(ヨブ記26章7節)

という聖句が出てきて、「北の空を何もない所に広げ」というのは、どういうことなのかと。「何もない所ってなんやねん、なんでそこに北の空を広げられんねん」と心の中で思っていた。”前後の文脈とか全体を理解していないとわからないパターン”のやつなのだろうか。あとは、バビロンの滅んだ話、キュロス2世、古代メディアとペルシャ…その辺りの話を聞いた。

Kさんは科学に知見があって、「炭素の循環を勉強したときにその仕組みがよく出来過ぎている。神はいるはず」という旨のことをおっしゃっていた。
知見もあったものではないのに「人間が仕組みを当てはめていったので、人間側からみてうまく出来ていると見えるのは当たり前じゃないですか?」と言うと「そもそも発見というのはすでに存在しているものを、”あったもの”として実証していくことであり、存在していることが前提だよ」と。

確かに、そもそも世界が存在するものとして認識している、それを創造したのは…と考えると。(座布団一枚!)

そのあと、少し取材の書き起こしを進めて映画『ハーヴェイ・ミルク』を見始めて10分後に見事に寝落ち。

2021・10・18

日記

今日は取材の書き起こしをした。書き起こしをしてみると取材中に話を聞いている時とはまた印象が違う。普段、いかに会話をニュアンスでおこなっているのかがわかる。言葉の内容だけを捉える難しさ。空間や関係性が会話にはどうしてもひっついて、バイアスがかかる。何事も”自分バイアスがかかっている”と頭のどこかに置いておかなければ、物事の本質を捉えるのは難しそう。(物事の本質って何?!)

本質という”言葉”は文脈上にしか存在せず…と、書き始めると話がロケットぐらい飛んでいきそうなので…もとい。

ある一点(この場合は記事)を中心にどんどんと関連したものが出てくると、知的好奇心が満たされる。つまり、”関連づけていく行為”にはある種の快楽的な要素が含まれている(多分)。関連づける楽しさ、「離ればなれのものが実は地続きであった!」という発見、その辺りを意識して記事に出来ればと思っている。

お昼過ぎに無味ちゃんから詩をもらった。すごい詩がきた。
正確に形容する言葉が見当たらないが、「あなたの詩はどこから?」「私の詩は愛の枯渇から」そんな風に感じる。実際にお会いしたことはないけど、「ああ、多分この人は同じ穴のムジナだ」と勝手に思っていて、親近感がある。

2021・10・17

日記

さっちゃんが予防注射で発熱のため、りっちゃんの見守り。
昨日も見守ったので、見守りのコツのようなものを勝手につかむ。干渉しすぎない、危険が及ばない限りはある程度は自由に遊ばせる。

午後は雨が上がり、コインランドリーに行った。コインランドリーを使うのは人生で初めてなのかもしれない。両替機に1000円札を入れて、100円玉を10枚だす。これを一枚ずつコイン投入口にいれていく。そして、スタート。ここで、「洗濯のみ」「洗濯+乾燥」のどちらかを選択していないと気が付く。デフォルトの設定のままだった。乾いた蒲団のセットが明日の朝には必要であり、「洗濯のみ」の設定になっていたらどうしよう。

覆水盆に返らず、後の祭り、ほぞを噛む…もう戻らない事実を言い換えたところで蒲団はクルクル、クルクルとまわっているのだ。自分自身にガッデム。

洗濯のことは早々に忘れて自転車で近所を散策。川に沿ってひたすら自転車を走らせると、雑然とした整備されていない草木がそこら中に生えていて、錆びたフェンスの向こうには「回送」と表示されている少し古めかしい電車があった。ちょうど自転車が1台通れるほどのぬかるんだ道を走ったりした。

片田舎や田舎に生まれたわけではないので、都市生活者と田舎の人たちは「土地を所有する感覚」が違うのかと考えたが、ただ単にそれは「家を買う経験をしたかどうかではないか」とすぐに打ち消された。”所有する”と考えるのではなく、「土地に対する感覚(向き合い方)そのものが違うのか」と考えると、その奥に何かがありそうと思った。土地の使用が仕事に直結しているかどうかで、まず大きく分かれる気がする。

などと考えていると、気が付けばりっちゃんがぐーすか、ぐーすか寝ていたので、コインランドリーに寄って帰宅。近くでも意外と知らない場所があり、発見があって楽しかった。(報告:蒲団は乾いていました。)

帰って反福祉論の続きを読んだ。

貧困層に陥りそうな状態を防ぐ機能よりも、貧困層に陥ってしまった人々の最低限の生活を保障する…(引用)


このどちらの対象であるかをまずは念頭に置くと良さそう。これは、なるほどなと思った。