心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「ひめゆりの塔」へ

2019/10/31

 

ひめゆりの塔にいった。それは那覇から十数キロ南下した糸満市にあった。一度、中学生のときに沖縄に訪れたが、ひめゆりの塔にいったかどうかは定かではない。記憶にない。


当時使用していた薬品の瓶のようなものが飾ってあった。それはボロボロで、時の経過を止めた、その瞬間を保存しているようだった。 


最後のあたりの部屋では、ひめゆりの女学生の顔写真が飾られてあり、その下に一人ひとりの気質が書いていた。「リーダーシップがあり、気立てがいい」。
写真は壁一面に張り巡らされてあり、少しの罪悪感を生んだ。爽やかな心持ちになれるようなものではなかった。直感的に"繰り返してはいけないもの"と認識した。人間の生に対する感情。それを記録すること、伝えようとする意志、そのような芸術がひめゆりの資料館にはあった。


人間はやたらと汚く、とても綺麗である。いくつもの面がある。

その奥底に触れる作品を創りたい。死を迎える前に。

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朝になった

2019/10/17

 

雨が続く。幸い、私の周辺は19号による被害がほとんどなかった。近所のスーパーに行き、カップ麺など、非常食を購入した。棚からはたくさんの商品がなくなっている。スーパーやコンビニなどから食品が消えた場合、どこから食べ物を手にするのか。生命維持の為にはどうしても必要である。


何かと"有ること"に慣れすぎて、密接に関わっていた事実を忘れていた。人間は思ったよりも脆い。生活を立派に行える、生命身体の安全。避難勧告の警報が鳴り響く。暗闇の中、雨と風の音に加えてけたたましい放送。妻は妹夫婦と連絡を取り合い、状況を確認している。私はガスボンベを補充していない不安に苛まれ時間を過ごす。

 

何をしたわけでもなく、次の日までの記憶がどこかへと消えている。朝になった。

停電に備えて買った懐中電灯が目に入った。

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扉にはりつく三重奏

2019/10/09

 

閉まったドアに3名が張り付いている。一歩後ろに下がれば、隙間が生じる。その広さはすでに空間であり、私的な領域を獲得できる。それでも3名は、閉まったドアに対してわれ先にと進もうとする。競争と呼べるほどのものでもない。「せせこましい」の縮図化に成功した模様である。


見方を変えれば、不満を口にしない以上、その図を構成する3名は"自由"と捉えられる。皮肉めいた観察者の場合は彼らを哀れむであろう。

  

目の前の状況に感想を抱くことは、個人が持ちうる感覚の"何かしら"を投影している。また、他に対する哀れみは(大きくみれば)自己における慢心でもありえる。感情は空間のそこら中にあり、周囲の人間に憑依していく。そして、思いもよらないトリオが完成する。目の前にしてもどうしようもないのである。

  

「やれ、追いつけ、追い越せ。」決して調和しない三重奏を耳にした。

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