心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

ゆびを折って数えた

2020/05/27

 

1.現実感を真似るように息を吸い込む

2.距離を測るモノサシのひび割れは、いつまでも修復せずにある

3.われさきに、我さきにと、乾いた喉を満たすため、オアシスの水を飲みにいく

4.老婆が横切る

5.「水はまだ、十分にあるではないか。蜃気楼を有り難がるのはいい。そういう人は見飽きた」と言っている

6.バンザイでもしたかのような上向いた睫毛に錯乱した目を向けられた

7.気がつけばわたしは、指を折っていつまでも数を数えていた

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奥底にひそむものを写す、自分では運んでこれない鏡。

2020/05/25

 

人の良心に基づく社会的道義に背いた行いや心。

その人の基準の中では”背いている”としていることなのに行う。やってはいけないことはしたくなるものなのか、天邪鬼。何もかえりみず、その行為そのものを本当はしたいと思っている、欲望。わざわざそれを人前であったり、社会の中で表明する人はいない。背徳には、”してはいけないという理性”と”したいという欲望”が混ざっているのか。綺麗事では語れない生々しさ、自分のどこかにも潜んでいるかもしれないもの。

 

こういった主題のものに強い力があるのは、誰しもが多かれ少なかれ持っているか感覚だからこそ、そこに人間らしさを感じ取りやすいのか。(違うと思いたいという意志を抜きにした)共感が生まれやすいのか。背徳という単語が適切かどうかは自信がないか、欲望は人間を考える上で外せない要素としか思えない。

 

奥底にひそむものを写す、自分では運んでこれない鏡。

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出会いとは感覚を交換すること?これは文字に起こす必要があったのか?そんな日。

2020/05/22

 

出会いとは感覚を交換すること?

謎を欲しているのか?わからないということと、そのエネルギーが強いことに、ただ、単純に惹かれているのか。雰囲気を含めた何かを気にしている?何かはいつも何かであり、当てはまる言葉を複数持っているのか。ただ、みずからの興味が湧いていないだけで、別のフィールドに立てば他に対してそうしているのか、それすらも謎。いつもなにもわからない、けど、ああだこうだとやり繰りして時間が過ぎる。情緒やら理論やら、なにが絡んで、なにがなんだか。

これは文字に起こす必要があったのか?そんな日。

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