日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

浅草の夜

浅草、平日の夜

 

浅草の夜ってめっちゃ綺麗。
浅草寺の奥に行くと、照らされます。ムードでます。
いい夜は文章書く気が出ないという、怠りに甘えて。

 

満足は音をつくらず、文字をなぞらず。
今日の写真を劇画風に、ポツリと挙げて幕閉じます。

明日もいい日に。

  

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「関係性の中で生まれる感情」「とりいそぎ、音楽、近況報告」の二本立て

関係性の中に生まれる感情について思うこと

 

「宵越しの金は持たぬ」いやはや「節約よ」
お金の持ち方、使い方には拭えない価値観が表出される。

良きも悪きもなく、どこか先天性の問題と思う。平たく言えば育てられ方や周囲の環境。超越した個性なれど、他人様を鏡とし、関係性の中に物語や感情が生まれていくのは周知の事実。

 

金銭的な価値観だけではなく、基本的にその関係性の中で育まれていく。
「関係性を見守り育てる」教育とはそのような側面を持つかと。関係性の支配によるコントロール。コントロールというと「心を蔑ろに、なんと人間味のないことを」と思われるかもしれない。

 

ただ、コントロールすること、されること自体に良い悪いもないような。コントロールする側の意識の問題であり、その先の目的により、その関係性は劣悪にも、良好にもなる。

 

どちらがどうとかではないのは承知ですが、教える、与える側が重要であると。
会社の中の上司、ズバズバ言える人はあれだが、空気的に気を使い事実が折り曲がることもある。基本的に主導権を上が持っている限り、それは起こりうる。

怒られるかどうかの判断基準のみで行動を取るのは、前進がないと思う。要するに萎縮は中身のない箱を大きくしているだけだと考える。

 

これより、主体性を育むことにこそ、良好な関係性が築けると。
悲しみの関係性、喜びの関係性、自然体な、また、作為的な関係性。さまざまある。
また、別角度として時間は流れて、年は重なるものである。関係性の築き方におきまして、主体性を大切にしたいという話。

  

そんなことをふと考えて過ごす15時前、雨露をしのぎながら曇天の空を眺める。

 

音楽、近況報告

 

渋谷に在住しているということで、久々にほりぐー社長に会いにいった。

いろいろ端折って、とりあえず、久しぶりにフリースタイルをしてみたよ。

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私、音楽アルバム作成中です。

ほりぐー社長とも一年ぶりくらいに曲を創るので、嬉しかったり。

アルバムつくろうと思って取りやめて、3年は超えたけど。納得できず、なかなか上手くいかなかった。でも、今回はいけそう。「こ、こ、こやつは!」っと思わせれるようなアルバムを創る!がむばる。

 

ということで、今年の夏からより音楽活動していこう。歌ったり、紙ヒコーキ飛ばしたります。

最近決まっている出演情報です。
その一風変わった動向に目を離せないこと。きゃあ。

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【ライブ】

7/7  (土) 「have a good time vol.8」 @渋谷EAR

7/14(土) 「ASAKUSA Mosquito Flight-Curry&Rap-」@浅草ゴールデンタイガー

 

【DJ】   

7/13(金) 「ウルトラヘヴン vol.1」 @新宿ロフトバー

8/3  (金) 「歌舞伎町DJ飲み酒場 vol.5」@新宿ロフトバー

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「餃子ヲススメ」 胃袋に求められし実家のぎょうざ。

餃子ヲススメ

 

今、胃袋に求められし「実家のぎょうざ」。
ほどよい近所には王将があり、さらに近所に餃子の満州が聳え立っている。餃子を食べたければ、何も惜しむことなく食べられる。満州の餃子は、月並みな表現だが外はパリッと中はモチっとしていて、美味しい。

 

餃子、ひき肉と細かく刻まれたネギ等を練り混ぜる。肉も野菜も渾然一体となり、ひとつの作品を創っている。

 

タレには醤油やラー油を入れない。
ある日、カメラマンのふっしーに酢と胡椒だけで酸味がある爽快なタレになると教えてもらった。1年くらい経つであろうが、未だにそれを実践している。

そのタレで食べると、暑い夏に屋上で行われるビアガーデンのごとく、涼味を感ずる。新しい価値の発見はビジネス思考を働かせなくても、こんなに近くにある。いつもそばに。ああ、生きるための思考力が餃子に収斂されていくみたい。その最中、求められているのは実家の餃子だ。

 

正統な餃子を目指しながらも完成したそれは、よほど水餃子に近く口の中でとろけるかのよう。微妙な皮のねばりが野菜の味を引き立て、口の中に風味を持ち込む。

 

世の中には無数の選択肢がある。明らかな事実。その中から一つを選び取り、行動する恐怖に誰もが煩悶とする。壮大な道のりに恐れおののくことも一度や二度ではないはず。

 

そんな時にふと食べたくなる実家の餃子、究極のメニューに入れようか、いや、至高のメニューに入れようか。

餃子ノススメ。

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flickr

 

今日の一曲

 

70年代末から90年代に活躍したイギリスのロックバンド「Dire Straits

当時のトレンドとは違ったオリジナリティがあったそうだけど、売れたそうな。

 

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この曲、喋るように唄うスタイルがいいですね。

音を合わせにいったと思ったら、また、しゃべる。その絶妙な境目がメロディ(?)を飽きさせないのね。歌い切らない、という。反骨心みたいなんも感じられたり。

メロディを作っといて、ここ喋るゾーンみたいに取り入れたら、面白そうと思いながらです。

www.youtube.com