日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

なるべく、みんなが良い方向に転がるように。

良い方向へ

 

先週末から怒涛の日々が続いております。
平穏無事に過ごしている所存でございますが、いかんせん時間は早く過ぎ去ります。

 

金曜日は「下北沢」で夜通し遊びました。意外なところで意外な方とお会いしたり、偶然や必然が相まって、夜走る列車のごとく、軽やかな盛り上がりを見せております。

 

記憶の半分くらいはあるのかないのか、定かではございませんが、充実しております。ジャンルという枠にとらわれず、音楽を軸に西に東に奔走しております。

サイケデリックな世界に没入したり、朝から桜を愛でるために青いシートの上で寝そべってみたり、日常や非日常にご挨拶しております。

 

大きな目標や意志を持った人、熱を帯びている人、ふわふわ生きている人、依存している人、謎めいている人。たくさんいます。各人の良いの「定義」など分かりませんが、出会った人たちが「良い」方向に転がってほしいばかりです。

 

また、自分自身が人様を「良い」方向に転がせる人間で有りたいと思うばかりです。問い続けた心の根が少しづつ、熟してきております。そのためにも得たいものもあります。目に見えるものを捉えつつ、焦らず、代わりのないものへと。

 

最近のi phone内の思い出たち。

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芸術といったもの、その関心もずっと胸に。

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「ひからびた林檎」

ひからびた林檎

 

ひとつ屋根の下、ひからびた林檎はずっとそこにあるはずなのに、地面にぽとりと落ちた。その林檎の周囲に数匹の蟻がいる。林檎から一部分を切り取り生きる為の食を得る。「この状況を人間に置き換えるのは感傷的すぎる」と、自らに問うことへ、こそばさを覚える。 

 

ユーカリの中毒性にやられたコアラのように、何かに打ち込みたいと考えていた青年は星の数ほどいる。私は朽ち果てた夢に、意味を与える仕事に従事している。

希望とは意味をつける行為、および絶望とは意味をつける行為、それを知ってしまったためだ。

 

その行為たちに対し感覚だけが歯止めをかける。

いくらか歩を進めた先、すなわち、さきほどの林檎が見えなくなった時、意気揚々とはしゃぐ学生に出くわした。部活動の帰りである彼らは、磯野カツオばりの元気さを持ち合わせ、大きな声でお互いを罵り合い高める。

 

「こないだのさばき方、ありえへん。もっと前にでぇや」
「結果的にアウト取ったし、勝ったからよかってん」

 

お互いに口を尖らせ早口だ。彼らに私の仕事の必要性を見出せない。何かと偉そうに語っている私の営業成績は良くない。朽ち果てた夢は時が経過するにつれ、世間様への吹聴という価値を与えられる。


いくら歩けどたいして景色は変わらない。普段から通る公園、木目が丸出しとなった切り株に腰掛ける老人がいる。その顔はやけにリアリティを伴っている。生きることへの趣き、老獪に事を運ぶしたたかさを吸い尽くした顔だ。

 

「朽ち果てた夢など知らぬ存ぜぬ、道はすでに別れていたのだ」と言わんばかりの表情である。価値をつける仕事に従事した私が人の顔を見るのは、職業病だ。外見は内面の一番外なのだ。判断にはいくらか自信がある。生きてきた年齢を差し引いて、きっちりと見られるのだ。この目に狂いはない。
このまま続けていけば、成績も右肩上がり。


意志は風化し形を変えた。「私」は「朽ち果てた夢に価値を与える」仕事を辞めていた。いったい、私はどんな顔をしていたのだろうか。

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今日の一曲

パンクの女王ともいわれたPatti Smithさん、UAさんがカバーしてたので知りました。

惹きつける魅力、満載です\(^-^ )詩人でもあり、文学性の高いリリックで多くのフォロワーもいるそうな。

Patti Smith/Because The Night

www.youtube.com

いくら呼んだって返事がない、彼女の返事がない。

彼女の返事がない

 

いくら呼んだって返事がない。

木の枝にいる鶯は豪快に鳴き、穏やかな季節の訪れを教えてくれる。温かくなるとなんだか優しい気持ちになれるようだ。都会に住む僕は混雑した電車に乗り、通勤する。ぎゅうぎゅうの車内、肘が少しばかりぶつかるだけで苛立ちが増す。その時は無責任で愚直な表情をしているに違いない。小さい子供を微笑ましくみる余裕など到底なく、通勤に必死なのだ。

 

しかし、気持ちの良い天候が、今まで気にかかっていたささいなことを嘘のように消してくれた。自分がとても冷静な人間のように感じる。週末は少しふるびたソファーの上で微睡む。また、コンビニで買ったカフェオレにひと時の癒しを覚える。つまり、1人で十分に生きている。

 

昔、祖母は「人は何かに依存しているのよ」と口ぐせのように言っていた。自分の行動への逃げ口上のようなその発言が、どうしても嫌いになれなかった。もう遠くにいったけれど、祖母との暮らしを思い出すと心が喜ぶ。感情の一部を切り取る記憶とは、残酷なのかもしれない。今日も僕は慎ましい感情と暮らしている。過去と今、他人と自分、比べるものではないけれど十分に幸せだ。

 

それなのに、一度も口を開かないのはなぜ。
彼女は無表情で笑っているだけなのかもしれない。

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今日の一曲

 今日の一曲は・・DJ紙ヒコーキ a.k.a 笹谷創のビートです。

このビートを聞きながら上の文章「彼女の返事がない」を読むとまた違った読後感に包まれるかと、新鮮味が増し増しの模様かと^^bb文字にも色をつけられるはず。