日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

明日は、渋谷で遊びましょう、そして、誕生日。産んでくれた父母に感謝

 最高の週末を

 

気がつけば2月。冬真っ只中でございます。明日は、ふらっと立ち寄れば楽しくなかったことがないEARにてお店番です。お店番といいつつ、イベントにしています。

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「have a good time vol.3」は

 

健三兄さん、俺、KAONくんの誕生日&太郎ちゃん、まおちゃんミュージックビデオ出演ありがとうございます&鬼は外会

 

にしようと思っています。


auly mosquitoのメンバーやらでワイワイガヤガヤしようと思っておりますので、ご興味ある方は是非おいでください\(^-^ )堀口社長、健三兄さん、先生はライブをしてくれるそうで、私もちょいと唄おうかなと思いつつ。なんとまあ、オールスター感謝祭みたいな日になりそー。楽しい日になるったらありゃしない。とりあえず、私はお店番を頑張らないことには始まらないのね・・。バーテンダーとしての能力の低さには定評があるので、克服しようと思いつつ、かまけてたら、ケツ蹴ってください。「どんっ」となります!!

 

そして、やっとこさ、録音も中々に順調でございますっ。早く、リリースしよう。次のやりたい音楽が詰まりまくっている。そして、今日は嫁と家で鍋をした。マッタリチル。

 

誕生日のメッセージいただいた方ありがとうございます。なんでもない日常、好きな人に囲まれて幸せ者です。おめでとうと言われるとやっぱり嬉しいです。

今日は、残りの充電を振り絞って、GOBBLA a.k.a 実の兄貴の「父さん母さん」を聴きます。同じ家で育ったから事情を知っている分、よく聴こえる。笑

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そして、ワンマンライブも行かれへんけど、いい日になってほしい。

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後半はお兄ちゃんの広報みたいなりましたが・・明日は渋谷で乾杯しましょう((^-^ )

 何により満ち、何により溢れるか

 何により満ち、何により溢れるか

 

生きる上の手がかりを寂寞に見つけては文学に惑溺した。個人として常に精一杯だったから。いつの間にか少し、文学から離れていた。それは、ナイーブな心を隠蔽する方法を会得したからなのかもしれない。踏み台は個人から全体へと変わりつつある。確実に。世間的な名声もさることながら、私に出来ることは何かないのか。抽象的で漠然な何かが生まれつつある。芯に沿った行動を取っていけば、それは何であるのか理解できるのかもしれない。自分自身さえも未知の世界。心が満ち足りたなら溢れた分は、誰かに回す。いわゆる、他利の精神。

 

環境は十分整っている。整った環境の自分が出来ることがあるはずと。この社会において貧富のわだかまりは決して取れないのかもしれない。場面によっては、そうでないのかもしれない。やはり不変的なものは調和だと思う。復讐心や嫉妬で構築した建造物。されど、建物に居る人のほとんどは建て方を気にしない、幸福の形。
配慮も行き過ぎれば迷惑となる。バランス。そうはいっても、其の先の考え抜いた配慮こそが、人々を包むのではないか。居心地の良さだけでは気持ちは浮かばれない。

 

もちろん、全て単純に捉えられる。どれだけ思慮深さを追い求めても、頑迷のない単純に塗り替えられるのかもしれない。しかし、わからない何かはフツフツと焚かれてきた。遥か彼方からきたのか、そこにあったのか、感覚的なのか、具体的なのか。

何かはわからないけど、この延長線上に有るとは理解できる。野暮ったくじれったくも、時を待つ。

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依存こそが歴史を紡ぐ

 歴史解釈

 

支配と被支配により紡がれた歴史。散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がするのだと。よく知られた都々逸は今もなお、健在なのではないだろうか。カタカナ語は当たり前のように使用するし、判断の尺度のどこかには異文化が入り込んでいる。そもそも、その地点からしか生まれていないから、何処までが元々あったものか不明だ。8歳の時から20年経過するが文化の変容は起こったのだろうか。自らにも変化が訪れるため、周囲がどうなったのか気づきにくいのか。

 

音楽はアナログからデジタルへと変貌し、データとして入手できる。美しいと聴こえる出力装置。コミュニケーションでもあるメールや動画も2次元チック。文字列に一喜一憂。こう書いていると皮肉と捉えられるかもしれないが、全然そうじゃない。どちらが感情を揺さぶるか、最高の瞬間に会えるか。それぞれにあると思う。 

 

心ベースで考えれば、アナログもデジタルも区別はないのではないか。不変的な真理とはひとつ、人間の性質であるのだから。流行りは移り変われど「流行り」が存在することに変わりはないし、当たり前は当たり前となり気にならなくなる。


ならば何に「依存」するかが重要となり得る。あの人に依存。快楽に依存。我慢に依存。目的に依存。少し大袈裟な気もするが、それぞれの依存が争いを生み、愛を生み、人を生む。人々が紡いできた過去に依存の眼差しを。

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