「あゝ、我が人生よ」 感受性と社会性は両立させられるものなのか?
客観性を円の真ん中に起き、確定的な判断をしないツケが背後に迫り来る。
中庸を目指し、ひたすら凸凹を眺め細分化する者。
周囲に目もくれず自ら道を開拓する者。
歳月が照らされた瞬間に生きているのはどちらか。
前者は品や格式のために排出される言葉を求め組み立てる。
また、後者は実りのために影響をのせた言葉を吐く。
同時に並行し得るのは可能か。はて、その目的は。
欣喜雀躍して喜ぶためか。統一はそれ以外の排除を生み、危険を及ばせる。
否、そのリスクをとらなければ統一は逃げ惑う。
憧憬により矢印の先を決定する方法。
その方法は諸刃の剣だ。結果、残るのは己の心身。
あなたを心に居つかせ手なずける。ただ、可能と不可能の境界線は曖昧だ。
存在とは取るに足りないものであるのか。すでにそこにあるのだから。
感受性と社会性
めっちゃ張り切って書いていますが、簡単に言いますと・・・
「感受性と社会性、2つは両立させられるのか」という疑問を書いたものです。
社会でうまく生きていくためには、ある程度はハッキリと自分の意見だったりテキパキした感じを出したほうがいい。「相手に自分はこういう人です」と、意思表示する感じです(´Д` )!だから、あまり考えすぎないほうがいいと思われ。
ちなみに、人間は自分がコントロールできない状況に陥ると、ストレスを感じ葛藤ゾーンに入るそう。
逆に芸術的な創作は、葛藤や矛盾を何度も掘り起こす作業が必要と思われ。
社会でうまくできている(人間関係がうまくいっている)とあまり葛藤しません。ということは、その場合、創作につながらないのではないかと思うのです。
自分の判断が絶対的と思っていると、新しい発想が生まれない。
でも、絶対的な判断の方が人への影響力はある。
う〜ん。。(´Д` )。。。
そもそも両立ではなくて、その線も曖昧な気もする。
う〜ん。。(´Д` )。。
感受性の限界
最近、Riddim HunterさんのMVを見て、ひたすら感動しています。
感覚的な話になるけど、人には感受性と社会性のバランスがあると思う。
Riddim Hunterさんは完全に感受性の人だと思うわけです。(100%の主観です!)
自分はここまで感受性に振り切っていないなと。
それならば社会性を高めていくべきなのかと。
社会性の要素が多いと、良い唄が歌えないのか。というと、そうではない。
そして、感受性の終着点がある気がするんだ。
今日僕は、その終着点が頭をよぎった。(悲しい・・)
と、「思考すること自体に意味があるはず」と思い込み、明るい未来の建設に一挙一動を捧げます(´Д` )
「そこが人生のひとり旅ですよ」 道行く男性の一言が頭から離れない。
頭に残る一つの言葉
それは2017年1月11日の15時ごろ、中目黒から池尻大橋に向かい歩いている途中だった。
ネクタイを締めけだるそうに歩くサラリーマン、白いイヤホンを耳にロードバイクに乗るB-Boyなどが道中にいた。この周囲をうろつくのは、オシャレと顔に書いて歩き回っているのと同じだ。目的地までひたすらまっすぐ、早くもなく遅くもなく、また、誰に咎められることもなく歩いた。
「歩幅は真実を移す鏡なのか?」と抽象的なことを考えながら歩いていた。
その思考までにたどり着いた過程は記憶の遥か彼方だ。
ほどなくした頃、目の前に女性と男性が現れた。
女性はピンク色のマフラーにカナダグースのジャンバーを着ていた。
隣で歩く男性はスタイリッシュな街「中目黒」で一層、目を引く格好をしていた。
ペイズリー柄の鳥打ち帽にトンボのような大きなサングラス、さらに色鮮やかなスカーフに高級そうな皮のコートを着ていた。しかし、彼が目を引く本当の理由はファッションではなかった。
目に入った瞬間から気になる存在、しかも、その理由は見当たらない。
そこにヒントが隠されている事実だけが伝わる。
かなり早歩きな男性と女性、すぐにすれ違いそうになる。
彼らの会話の大部分を耳にはしなかったが、男性は女性に「そこが人生のひとり旅ですよ」と言っていた。
前後の文脈は不明、その点が惜しまれる。
「人生のひとり旅・・」それは誰しもが必要とする鍛錬なのか。
はたまた、孤独を旅と捉える前向きな発想なのか。
今となっては定かではない。
とやかくでっせ、その言葉が今日ずっと耳に残っています(´Д` )
もはや私に言っているのかとも思った。
暗示も暗示、アヌビス神もびっくり!
1月11日改め、知らない人の言葉が引っかかる日。
「なんて日だ!!」
今日は、何の日なのか。
調べたところ・・塩の日だそう。
そうか、そうか、塩の日か。塩をひとつまみ食べて寝よう(´Д` )
「ケツ、いったろかい!!!」
はたまた年齢のせいか、チキンラーメンが美味しく感じる。
椅子の座り方
みなさま、椅子に座るときどんな座り方をしていますか?
小学生のときの健康診断で「背骨、曲がっていますよ」と告げられた私は姿勢が悪いのなんの。落ち着きもなく姿勢も悪く。
姿勢業界の異端児「ササの丸」です。
最近、椅子に座って作業するときにめっちゃ背中がピンっとなるように意識しています。丸めるのではなく、ピンっとやっちゃいます。
ピンっとすると仕事できる風な雰囲気をまとえます。
すると、パソコンのキーボードを打たなければいけない使命感が燃え上がってきます。
集中力が切れてつい他のことを初めてしまう人は、ぜひ試してみてください。
あっ、これが特に正しい姿勢かどうかはわかりません(´Д` )。。
背中をピンっとすると集中できるという私なりの発見でごわす。
リアルにささじぃに近づいている
話がコペルニクス的転回しますが、ファミリーマートで売っているチキン味のミニラーメン。最近のハマり食でごわす。そのままボリボリ食べるのうまい。
ボリ食べです。
そのままボリボリいかずにお椀に入れ、さながら椀子そばのようにお湯でツルッといくのもいい。結果的にチキンラーメンなんだけど、量がちょうどいいわけです。
ちょうど食べです。
寒い冬には心身を温めてくれます。
特別な何かでもないけど、ほっこりもんです。
最近、食べ物の嗜好が変わってきた気がする。
ある店で出てきた山芋をかけたご飯。
あっさりとしたシャケの唐揚げとひじきがついていたのかな。
とにかく、その山芋をかけたご飯を食べたときに落ち着きがすごかった。
体に溢れる充足感。ぶわっーーと。体全身に幸福がやってきます。こうなれば喜色満面です。
ここに落ち着きを感じるとは、めっきり年を喰ったんだなと思う。
年を喰い出していると思う出来事がもう一つある。
はじめてのおつかいを見て泣いてしまったこと。
1人で行くと決意した3歳ぐらいの女の子が、何歩か歩いて「ママァー、行こう」と泣きながら言う。
ええいああ、君からもらい泣きです。
尖りと丸みと凹み。さあ、どう行こうか?(*_*)