日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

ありのままに筆を執る。

あまりにも忘備録

 

マザーボード・・母なる基板よ。
「キミはパソコンの中心的役割を担っているのかい!」
「そうよ。私がマザーボード、パソコンの中心的役割を担っているの」

マザーボードの交換は忙しない。中心的役割だからか。忘備録。忘れない。記憶。断片。あからさまに日記的で。あの日、ピザを満腹食べたが為に、たまに和食が恋しい。納豆に味噌汁、酒に白米。うまい。
もうひとつ日記的で。

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好奇心に導かれしと思えども、なかなかどうして。気を衒うがスタンダードになってきたけど、「気を衒う」が「気を衒う」を塗り替えまくるとなんだかんだスタンダードに戻るのではないか。

 

どこでもリラックスして、懲りずに好きなものを追いかけて。大多数の人が気になっていないと考えてみても、意外にそんなことなかったり。世界の広さを知るには、色んな人に会おうと。

 

「人に会う」というのは、やはり感情を揺り動かされる。いつもの道とはちょっと離れてみよう。そいつが目の前を開けたり、夢中にまっすぐなのに横道に逸れたり。大体はそんな感じで。指を指す自分に指を指してみる。心はいつも寛容に、朗らか、和やか。ゆるキャラ的要素は微塵もなくたって、幹としての緩さ。芯としての熱さ。

労働さえも興味の的、根気強さも憎らしさも噛み締めて。この言葉の羅列に有益な情報は皆無だけど、その向こう側を見たいから、というか、もはや標準化しております。精査せずに素直に筆を執る。得てして駄文の件、ご愛嬌でございます。