醒めやらぬ
回廊日記 2021.05.31
名もなき自分の外部や周辺に点在する、うようよとした、考え事が脳の位置ではなく全身を包んでいる感覚。卵でいうと殻。感知する部分、入力のインターフェイスが全身を覆っている。「全身を覆うなんて普段と違うぞ、なぜだ」と考えた結果、若干の二日酔いで落ち着いた。
先日、美術作家の小林さんをインタビューした。"同一の現象"を説明するのに言い回しを微妙にかえて、ニュアンスがこぼれないようにしていた。もしくは、こちらの捉えられる可能性の幅、チャンスのようなものを与えてくれていたのかもしれない。言葉にすることと・できないことの狭間で揺れている、その周辺でのコミュニケーション。イメージの狭間をシームレスに、裁縫した痕が見えないように言葉を連ねていく作業。周囲に目を配りながら、岩にぶつからないように泳いでいる、と...ニュアンスの言い換えという意味で小林さんの模倣でしたが、何はともあれ、あっぱれです。
話が合う・合わないは表層的な行動からどれだけの深さがあるかを測る。深さ、つまりメタの段階というものがあると仮定して、その層のいずれにアクセスしているのかが関係しているという当たり前のことを考えたが、双方あるいは一方のアングルの切り替えによりおもしろくなるポイントを探すというのも加味しなければならない。(メタの層:縦軸、視点の切り替え:ページの変更)
いずれにしろ、じっとしているだけでは何も起きないし連鎖を止めてしまう。いきなりコークスクリュー・ブローのような必殺を打ち込むわけにはいかない。と書いたところで"ボクシングにはどういう技があるのか"ということが気になり始めたためログアウト。
やいそれ、やいそれ、イケイケGOGOと筆をおろします。
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メモ:明日の伊藤さんにむけて今日考えていたこと
肉体的な意味で深さを身につけるには、どうしても再定義(自分の頭で考える)のプロセスが必要と思われる