回廊日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「回廊日記」 2021.03.16

『回廊日記』

 

ただいま午前5時。

1時間前には少し大きめの揺れを観測。電気や水、いわゆるライフライン。断絶は突然に訪れる。食べ物が陳列されている棚からは食品が一斉になくなる。自然災害、何かを淘汰するために起こっていると勘違いすら起こしそうになる。
先日、知人の詩人が出ている番組をぼけっと見ていた。朗読の合間のMCで日付を記号化することに対して、声をあげている詩人の女性がいた。大災害の日も記号化されることにより、何でもない日と変わりなく、均一的に見られてしまうことに対する憤りと受け取ったが、捉え方は合っているのだろうか。


関東に住みはじめて、地震の多さに驚いている。周囲の家屋は倒壊し日常は瞬く間に消えていく、地震がトラウマになるのもうなずける。命に優先もへったくれもないが、子どもを持つと余計に敏感になる。なぜそうなるのかは正直わからない。


弥生、3月も中頃、気がつけば時計の針は午前6時を指し示し、カーテンの隙間からは少し光が注がれる。麒麟のビールを喉に流しこみ、90年代グラウンドビートの名盤 yo yo honey の voodoo soul のアルバムを耳に入れる。ベースライン、ストリングス、溶けていく儚さ。朝から夢を見ているようだ。


後1時間もすれば子どもが起きる。夜はすっかり明け、今日も1日が始まる。

f:id:sasaworks1990:20210316060905j:plain