回廊日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

身体で得たものを言語化する

2021/02/22

 

二元論的な前提を持つ時点で全く目標の座標に届いていないですが、身体→精神...言語、の順番ではないかと、思う次第です。人によるのか、音楽を続ければ、続けるほど身体が顔を覗かせる。dtmはより精神の要素が強いが、それは自分の中の判断で精神=思考。イコールではない、二アリイコール。きっちり、リズムの中に収まりきっている、いわゆる音楽の定義に則っているものへの尊敬・憧憬が、どうしても拭えない、緑として。

 

リズムの、音楽、ありえないズレは、人間の嫉妬心や執着の表れと。生き方はどうしようもなくリズムにでる、遊び心を忘れた、そこに打ち込むことしかできないような。それは長い/短い、交通量の少ない、交差点での出会いのようで。年齢をとると、自我の面倒臭さが先行し、期限の切れた消臭力、もしくはプロレスラーのしなびたチョップのように効果をなさないのか。

 

そこを美徳・悪徳どちらでも取れる。支配的にコントロールできないと音楽家として(恥の肥大化)、最低限、スタートラインにも立てていない。


敬愛を込めて。

3.影長く伸びる塔のような建物の裏で待っているよ、な気がしてならない

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