日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

トライコームとよばれる葉に生えている産毛が白くうっすらとみえる。

2020/05/07

 

網の目から覗かれたインスピレーション、道路を横断する無数の車と遮断された通信。

俯瞰すればジオラマ。右心室と左心房と名付けられたところ、部位の変動や扁桃腺の腫れ模様。あらゆる種を隠し持つ地下の空気の肉体。ともに並ぶと大きさや小ささになり、無数の比較に顔を埋める。薄めた効能に縋りつきあい、踊る。寂しさのない天には、喜びの線。鎖帷子に腐った花びらに語り合い。愛しあいしかしない理解と今日もいる。

ハッと我に帰れば18時前、陽が沈みかかる。家の側の大通りを歩いていると、左手に鞄を持ち帰路に着く人たちがちらほらみえる。自粛期間、トンネルの長さもわからないままに暗澹たる思いもあれば知恵や工夫もある。久しぶりに葉の写真を撮っていた。自然に流れを作り全体を覆う脈は可能性に似ている。トライコームとよばれる葉に生えている産毛が白くうっすらとみえる。そこには生まれ持った線をただ伸ばしていく作業のような生命力がある。


緑と黄色がさまざまな濃淡で、表されている葉があった。その一部分は枯れていて新たな模様をつくっていた。

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