日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

何にも赦しを乞うわけでもなく、時間の経過を待つが、何を頭に浮かべようと針が刺さる。

2020/04/19

 

一定のリズムで、太めの針が心に刺さる。

ひとりでいると感傷的にすらなれない。ひたすらに堕ちてしまう。針は私を堕とそうとしてくる、なぜ。思考に感情など、そもそも絡まっていなくて、初めから感情がただ不安定なのである。誰の何のせいでもない、正体のわからないこの現象はどこに運べばいいのか。いい加減に行き先を教えてほしいもの。疲弊する。


方法が決して見つからない。このように文章にしているが、ただ"堕ちている"ということのみを表した文章は好きではない。書くことにより安心感を得る手法といえば手法だが、作品でも何でもなくて、日記でもない、これは不必要な自己開示に思える。
何にも赦しを乞うわけでもなく、時間の経過を待つが、何を頭に浮かべようと針が刺さる。昔、撮った写真をみて待つ。 

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