日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

知ることは行動

2020/01/28

 

自分が主催しているコミニュティ総合芸術家集団auly mosquitoでは取材を行なっている。表現者のパーソナルな部分、作品と本人の関係性が気になり実施している次第で。

「お金についてどう思っていますか?」と、単体直入な、商業的なメディアにはない視点も含んでいるつもり。考え方や個人の歴史を振り返ると、自分も感銘を受けたりする。先日の取材でとても腑に落ちたことがある。


「知ること」そのものに意味があると。大多数が正確な情報を掴むと、自ずと状況は変化する。要するに、知ることも行動のひとつであると。「知ったところで、どうすればいいのだろう」と感じる現象に対して、目を向けないようにしていた節はある。果たして。


インターネット上には多種多様な情報があり、これらを選別する。正確な情報を掴むとは、他の行動を取る時と同様に、最終的には嗅覚ではないだろうか。

その直感に不安を感じた瞬間に、それは正しくないものとなりうる可能性を含む。

意見を表明するとは、なんと、勇気のいることだろうか。焦らずに研ぎ澄ましていきたい、知ることは行動。それは、自分にとって光に近い。

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