日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

失敗を前提にできるかどうかで、人生で見る景色は変わる。 

2019年06月29日

  

立て続けにイベントに、金曜日、久しぶりの健三さんのライブ。新曲が増えていた。ここに書くまでもなく、お互いにがんばろうと。ペースというのは、人それぞれで。比べるものではなく、自己ベストで十分。成し遂げる、やることが絶対的なわけでもない。たまたまである。寝不足でだいぶ疲れ気味でしたが、色んな方と話せて楽しかった。最近、会う人によく「とんでるね」と言われる。
とんでるのかもしれない。非合法なことは何もしていない、お酒は飲むけど。

 
年をとり、何かに沿って自己を抑圧することをやめた。正確にいうと、やめられる精神力がついた。どういう形容のされ方であれど、そのままを認められたようで安心する。

 この自意識の高さも、ありま一般的ではない。それでいい。ありのままと一般的であることは、たまたまそうだったという結果論である。

 
たまたま、そう、たまたまと考えていれば、解釈の余地があり前向きにも考えられる。とげとげしくもならず。

 
そして、BTO加藤さんのイベントへ。加藤さんは、酔っ払っていた。すごい好きなイベント。おる人が相手の立場に立てる、ホスピタリティの高い人ばかりで。いい空気が流れてある。あのローカルな感じも。事の始まりはいつもローカルにあると考えていて、なんかそれが具現化されていて。

 
私は、とかく、行動。今はそれをやるとき。

行動しないと、ことは始まらない。最近感じる。

失敗を前提にできるかどうかで、人生で見る景色は変わる。 


昨日、今日とった写真。

 


ボウガイズさんのライブ

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