日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「分類、体系化させること」と「考えるということ」

 

薄々気が付いていたけど、自分は整理整頓するのが好きみたい。モノを集めたくなるのも、体系的に物事を捉えていきたいあらわれだろう。以前は体系化させる前に、その好きなことに届く前に感情が横槍を突き出して、その行為に至らなかった。

読むのも聴くのも、浴びていたという表現の方が適切だった。以前、ほりぐっちゃんが「時間をかけて一文を味わう」というようなことを言っていた。自分は真逆で、とにかく量で攻めていた。それらは記憶にほとんど残ることはなかった。ただ感性には多大なる影響を及ぼしたように思う。

 

最近は落ち着いたのか、衝動的な感性は鳴りを潜めている。そのかわり一つのアルバムや一つの仕組みやらを噛み砕いて、つまり、体系化させてその中に組み込みながら、味わっている。分類や体系化させることと考えるということは、同義語ではなくとも近しい行為のように思う。

 

知識があると物事が立体的に見えてくる。感情に蓋をされていた知的好奇心を取り出せるようになってきた。最近になって、大人って楽しい、という意味が少し理解できたような気がする。

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