「分類、体系化させること」と「考えるということ」
薄々気が付いていたけど、自分は整理整頓するのが好きみたい。モノを集めたくなるのも、体系的に物事を捉えていきたいあらわれだろう。以前は体系化させる前に、その好きなことに届く前に感情が横槍を突き出して、その行為に至らなかった。
読むのも聴くのも、浴びていたという表現の方が適切だった。以前、ほりぐっちゃんが「時間をかけて一文を味わう」というようなことを言っていた。自分は真逆で、とにかく量で攻めていた。それらは記憶にほとんど残ることはなかった。ただ感性には多大なる影響を及ぼしたように思う。
最近は落ち着いたのか、衝動的な感性は鳴りを潜めている。そのかわり一つのアルバムや一つの仕組みやらを噛み砕いて、つまり、体系化させてその中に組み込みながら、味わっている。分類や体系化させることと考えるということは、同義語ではなくとも近しい行為のように思う。
知識があると物事が立体的に見えてくる。感情に蓋をされていた知的好奇心を取り出せるようになってきた。最近になって、大人って楽しい、という意味が少し理解できたような気がする。