仮にそうだとしたら、これも極端、音楽人造人間。
2019年5月15日
それが正解かどうかは置いといて。とても、面白い話、解釈を聞いた。
「川本真琴はj-popに殺された、もしくは川本真琴はj-popに生かされた」というのも、
もともと、ピアノをやられていたそうで、商業デビューするからアコースティックギターを覚えたのだとか。キャッチコピー的ですごく極端ですが、そう捉えるのも面白い。
仮にそうだとしたら、これも極端、音楽人造人間。幸か不幸かは知る由もなく。なんだろう、もっと具体的にいうと作曲家ゆえに。しかし、聴いてみたけど、これはj-popに入れていいのだろうか。まさに、川本真琴さんでしかなかった。
るろうに剣心の歌は作詞・作曲もつとめているのか。才能。歌を聴いても、上手い下手のラインにのせれない、他にいない感じがした。
最近のやつだろうか、めちゃ、好き。音楽的。
音楽にたどり着くまでの背景も音楽に含めたい。鳴っている音が全く一緒でも、ある種の錯覚だとしても奥行きが変わってくる。そう思うと、錯覚の性質は私の中で世界を変える。「私の中で」、つまり、錯覚とは個人の範疇に収まっていると考えられる。
そうだとしたら、錯覚や極端から見いだすことも有りだと考えられる。