日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

しばらくは淡々と毎日を綴ってみようと思う

2019年5月7日

 

ゴールデンウィークの疲れが残りつつ、昨夜は少し「日本美術の誕生」というタイトルの本を読んでいた。縄文時代弥生時代古墳時代の土器などを考察していた。写真も少し記載されていた。

 

歪さというか、素材感と言えばいいのか、そういうものに妙に惹かれている。先日、お知り合いの家にお邪魔した時にあった、古道具的なものを見た時と同様の感覚。

霊性なるものが備わっているのだろうか。

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下記は石を組んだ日時計

今何時であると知ることで、時間を認識する。

それは、本来、アナログ的な時間に対して、区切りのあるデジタルに置き換える行為に思えたり。そんな単純な話ではないのかもだけれど。

音楽のレコードだったり、なぜ、アナログ的なものに惹かれるのだろう。

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今日は久方ぶりに働いた。
10日ぶりにこの空気を吸い込んだ。話しかけられただけで少しヒヤッとする。特にそれはよくあることなので、正常といえば正常。縛られた空間にいると、リズム感ができる。そのまま、今日のやることをやってしまおうという気になれる。

 

ひとつの感情を取り出して、それを捻ったり、飛ばしたり、そうやってブログを書くことが多かったけれど、しばらくは淡々と毎日を綴ってみようと思う。