日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

遠いプロと身近な表現 〜音を聴きながら〜

遠いプロと身近な表現

 

ただいま、四つ打ちを心臓部に当てながら、文をしたためております。ローカルに存在する陽気さはどことなく背中を押してくれます。プロというのは圧倒的な意志があり、目的遂行のためには心身をも犠牲にしてのけるのです。その混じり気のない志は美しくあり、気高いのです。

  

一方で、根や真実はもっと身近にあると感じます。それは無意識のうちに、生活のうちにあるものではないでしょうか。そういった潜在意識にこそ、表現の尊さがあるように思います。音に触れていない人の音楽、練習したことのない絵、表現の本質はかねがねそんなところにあるのです。

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こうやって、前向きに考えられるのも、暖かさに触れているからです。私もコーヒー焼酎なるものをやいそれやいそれと飲み、少し酔ってきたようです。アルコールは筆を乱します。

 

それでも、それがないと筆が進まなかったりもするのですから不思議です。思考そのものが取って代わるなどありえませんが、ただ少し、内側から想いを掬ってくれるのです。宇多田ヒカルさんのタイム・ウィル・テルが流れてきました。少し踊りたいので、この辺りで筆を置きます。

 

帰り道、シャッターに描かれていた絵を撮りました。皆様におかれましても良い夜を。

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