遠いプロと身近な表現 〜音を聴きながら〜
遠いプロと身近な表現
ただいま、四つ打ちを心臓部に当てながら、文をしたためております。ローカルに存在する陽気さはどことなく背中を押してくれます。プロというのは圧倒的な意志があり、目的遂行のためには心身をも犠牲にしてのけるのです。その混じり気のない志は美しくあり、気高いのです。
一方で、根や真実はもっと身近にあると感じます。それは無意識のうちに、生活のうちにあるものではないでしょうか。そういった潜在意識にこそ、表現の尊さがあるように思います。音に触れていない人の音楽、練習したことのない絵、表現の本質はかねがねそんなところにあるのです。
こうやって、前向きに考えられるのも、暖かさに触れているからです。私もコーヒー焼酎なるものをやいそれやいそれと飲み、少し酔ってきたようです。アルコールは筆を乱します。
それでも、それがないと筆が進まなかったりもするのですから不思議です。思考そのものが取って代わるなどありえませんが、ただ少し、内側から想いを掬ってくれるのです。宇多田ヒカルさんのタイム・ウィル・テルが流れてきました。少し踊りたいので、この辺りで筆を置きます。
帰り道、シャッターに描かれていた絵を撮りました。皆様におかれましても良い夜を。