日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

東京、金曜日、終電。 つまり、満員電車。

東京、金曜日、終電。つまり、満員電車。

 

東京、金曜日、終電。
つまり、満員電車。ここに本質が現れている模様。シンプルに人は自分の立場が危うくなった時に本質が出る。

SNSはその逆。外部に意見をする、一概には言えないがそれは余裕がある証拠ともとれる。SNSは表層のボクシング。


比べて、満員電車。押されてイラついている女性、適当に横の人に寄りかかる男性。
なんと人間らしくあることか、それは瞬発性が求められるゆえの。
満員電車には前提として余裕がない、そこに現れる、(嫌な言い方をすると)本性。

 

今日はほりぐっちゃんと飲んだ。どういう流れか忘れたが、「見る、見られるを超えた先」のようなことを言っていた。(いかなくちゃ、見る・見られるを超えた先にいかなくちゃ、傘がない)

 

たまたま、駅の広告に井上陽水さんがツアーをやると、ありゃあ、たまげた、ホンモノもきちんと収まる。勉強になる。


今日も無人島で飲んだよ。

(唯一、撮った写真、好いとうよ) 

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