日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「火を吹け!プレイリスト」おヒマな方は都会で踊り明かしましょう。

 音楽観とDJ紙ヒコーキ

 

割とマイペースだが未だにシャイ感は拭えない。ぐぐぐ。いつかこのブログで書いたけど文体と歌い方に関しては、思い描いたスタイルと今の自分を比べて何が違うかを研究して・・、近づけていく作業を行うと理想になれると思う。(技術職は全てそうと思う)

  

書くのと歌うのでは、決定的に違う側面が存在する。歌は人前で歌うということだ。やはり、そこには流れる空気があり、それを掴めないとあっちゃまあとなる。でも、ライブは会話とは思っていない。ある意味、一方からの導きでもあるわけで、真っ白な紙を与えられて、絵描いてという状態に近いと思う。普段のコミュニケーションでは現れない肉薄した情感を共有する場面でもあるかと。

 

話が逸れかかったけど、歌は自分の型を完全に作っておかないと精神的な影響もあり空気に寄せた歌い方になる。ここに乖離がある。客観的に見ると、その寄せた感じが没個性を生む。そんなに気にしなくても、「人は優しい」のに。鍛錬。精神力も鍛錬。やはり、鍛錬を積み、客観的にみてグッとくる領域まで。けっきょく、「人として」に帰結する。

 

「やりきることが大切」とはいうが、それは一か八かではなく、どこでもそうできるのが一流ではなかろうか。ここに関しては経験が物を言うところでもございますが。そうやって、煩悶しつつ、徐々に自分の型を会得していくしかないと。自分の型を会得しようと頑張っていると歌の聴こえ方が変わってくる。人の型が細かくみえてくる。これは、一年前とは比べものにならないと思っている。

 

世界観が強かったと後から気づく感じというか。なんというか・・。売れることが必然だったように、自分のスタイルで売れたい。魂を売らずに。緩和が不揃いのままだ。

さて、今宵はDJです。

何気にDJでクレジットされるのは初めてだ。「DJ紙ヒコーキ」挑戦だ。挑戦。火を吹け。私のプレイリスト。パーティだし、今宵は踊ってきます\(^-^ )

おヒマな方は都会で踊り明かしましょう。

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