日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

移り気に美しむ散歩。

移り気に美しむ散歩

 

忙しない日々から脱出し、春の陽気の元に散歩をする。

自然発生的に頭は回転しリズムが出てくる。何度も通っている道も季節により様相が違う。道路をひたすらまっすぐに銭湯を目指す。

  

「緩やかさ」と手をつなぎすいすいと歩く。車は日常の風景に溶けこみながら走る。

ふと下に目線をやると花が咲いている。風で少し揺れているそのようすをみて、喜びがこみ上げる。その花は脆くもあり劇しくもあった。

 

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立ち並ぶ建物と対照的に名も知らぬ花が風に揺れる。

ゆっくりと歩いている時にしか成し得ない体験、道路脇に生えている植物に目を奪われる。情報を知らせる看板や電柱の線は気にならない。

 

花に目を奪われるのはなぜだろう、それは人工的ではないからだろうか。目的を知らずにそこに存在するのみ、散歩特有の思惑が頭を巡る。日々を疾走する心に花は入ってこず、目を配ったときに生まれる。なんと不思議な有り様か。

 

一瞬を軽視しないように、忘れぬように、花をカメラに収めた。繋ぎ止めなければいけない気がした。

 

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いつの間にか銭湯に到着していた。

僕は受付を済ませ、お湯に浸かった。パチパチとこまかく弾ける炭酸が肌を温める。

 

愉悦が身体を巡る。花のことなどすっかりと忘れていた。

気まぐれに花はかき乱される、それでも美しく咲く。