日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

頭の隅にでも、書道のことを置けたのは嬉しいこと。

お土産に東京ミルクファクトリーというお店のクッキーをいただいた。ありがとうございます。美味しくいただきます。

僅かな木の成長を喜べる人間であろうと思った6月の中盤の今日。

鉄分を取りたい気持ちが増幅し日高屋のレバニラを食べる。Tanya stephensのMVを漁る。酔ってきたせいか、やたらと身に染みる。

(2020-06-10) 規定的なハンコ

青年も女性も同じ穴のムジナであり、人生に捕らえられた人間、君とあなたのような関係なのである。

(2020060-7) 目玉焼きと女性A_

「引き取りは私が担当します」と言わんばかりの顔で、餌を巣に持ち帰るアリのように道しるべを見失わずに進む。

(2020060-5)心象_2時間で記憶をなくす少女

他者への冒涜、良心の呵責。親しい間柄を修復しようと試みるあなたと遜色なく、さあ、土の墓に埋めてしまおう。決意の朝は寒く孤独で、楽しい。

心象_20200603

つまり、揺らぐ波、揺らがない波、サーフボードを持参する必要はなく、海岸からその波をずっと見つめる。やがて海は穏やかになり太陽は月へと変わる。

ゆびを折って数えた

4.老婆が横切る

奥底にひそむものを写す、自分では運んでこれない鏡。

綺麗事では語れない生々しさ、自分のどこかにも潜んでいるかもしれないもの。

出会いとは感覚を交換すること?これは文字に起こす必要があったのか?そんな日。

謎を欲しているのか?

「優しいことが正しいとばかり思っていた。だから、記憶、なくなるのか」

家の扉を開け外に出ると、濁った色の上履のような曇り空が、一面に広がっている。

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言葉、細部をみれば微妙に違う赤色だが、それは赤色であり共通的に赤色を想起させる。作者と受け手の認識。

特筆すべきのない平凡なふたり:寿司の写真を貼ろう。

あきらめや卑しさのないトーンで京子は奈美子に言葉をかえす。続けて、記憶をひとつ頬張り、「窓の隙間から入る光みたいね。その傷はいつ頃からあったの」と矢継ぎ早に奈美子に話す。

知りたいと思うには全部違うと知ることだ

遠回りのようであり、探求する行為には深い愛情があると思う。

眠り起きる限り、つづく。

物めずらしい建物はなくとも、連続する造形物を統合してとらえたときに、ひとつの調和となる。

トライコームとよばれる葉に生えている産毛が白くうっすらとみえる。

網の目から覗かれたインスピレーション、道路を横断する無数の車と遮断された通信。

少しの「公園観察記」

私はサンダルを脱ぎ、ベンチの上で胡座をかき、辺りを見回し園内の観察を続ける。描写、風景を言葉にしてみた。

本当の原因などわからない。

確定させないことで、より原因を緻密に探れたり、自らを省みたりできると思う。

他に影響を与えるとは、本人がどれだけ没頭したかどうかなのだろうか、

好きこそものの上手なれを考えると、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」の歌詞が頭に浮かぶ。

何よりも、君が見たかった未来はこれでいいとも思う。

自分は誰とも一体になれないのか。人と一体になるにはどうすればよいのか。

「赤子は泣きながら生まれる」というリリックがあった。

にらめっこであった場合、闘技場からの失踪、つまり、天井の不戦勝である。しかし、こちらが首を上にあげれば見事に再入場である。

恋人のような錯覚に陥る。

どう過ごそうと、何を考えようと、夜がくればまた疼く。何かあったような、なんでもないような日に書けるのか。

解けず、夢のうちに溶け、膨大の記録は記憶に焼きつき、時刻は16時近く、記した。

音は連なり音楽になっていく、愛すべき横軸や縦軸、そばにいる。

存在するだけで、人は人に何かしらの影響を与える。

断定的ではなく曖昧さを残すことにより、ある種の普遍性を獲得しているのか。普遍なるものは主体の一番奥にあるものと考えていたが、そうではないのか。

何にも赦しを乞うわけでもなく、時間の経過を待つが、何を頭に浮かべようと針が刺さる。

昔、撮った写真をみて待つ。

人間とはなんぞや、という疑問がいつもついて回る。

2020/04/16 考えること自体に感情が付随しているわけでない。思考と感情が同じ空間にいることにより、思考という行為が"悲観的である"と認識している。改めて。早速、分別。 悲観的な世界には、魔法のような力がある。悲観か楽観の性質の面ではなくて、単純…

移動手段は腕の中、人生の半分は夢の中に。

娘にはとにかく大将の声を聞いてもらっている。

そんなに張り詰めなくて、籠らなくても、世界はもっと優しいのかも、と思えたりもする。

「シンガーソングライターはこの気持ちになるのか」とか思ってみたりする。

無いのに探す。それは、いつか訪れる死への導線のようである。

説明ができないから、とにかく創る。

水はたくさんのものを浮かべる、濡れてはなくなる。

一過性のものを捨てようと大樹に鳥は寄ってくる。ひとしきり雨が降った跡。

"普通に暮らす"ことはそんなに簡単なことではないと、あの時インタビューで聞いたことが頭に浮かんだ。

そういうものがあると仮定して認識させる教育(学校で教える?道徳の時間?)があれば、一般的な意味での不幸な人は減るのではないだろうか。