日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

異国の客を読んで

ヨブさん、財産と家族を失っても信仰を貫いた人、妻に嘲り笑われるのか。それぐらいが家庭の平穏を保てるのか、一体どうなんだ。

大げささ

今日は少しネットワークについて調べていた。BorderGatewayProtocol、Interior GatewayProtocol、Autonomous System。拗らせているからと思うが、専門用語かっこいい。

夏、週末の概要

かますぞ、という心意気というか。獅子奮迅。

"誰もが誰かに成り得るから 身を委ねな この流れる河"

ただ、分かることと出来ることの溝の深さが恐ろしい。未熟だ、身を委ねる潔さがいる。

ヒップホップ日和

イヤホンから耳へErick Saemonの曲が届く。首を振りながらひたすらに闊歩。

森田童子ルーティーン

どの感情に向き合って、またどの感情に向き合わないのか、向き合うとどうなるのか。

幻に近いと知りながら、ピンとくる生存戦略をいつも探し続けている

すでに自明のものと思っていたものが、考えてみるとあまり実はよく分かっていなかったりする。

抽象的な疑問

どういった可能性をも秘めているというのは、どこかで諦めているのだろうか。小さくまとまっても仕方のないと思うこと、疑問からの決意は偏った思想を生むだけなのだろうか。

世界の見方を探していくことと自分を知ることは同義語。

本人の意思とは無関係に、火山の噴火のように、予期せぬ時に。

 はかなさを惜しむ気持ち。忘れたくないものです。

"春分の日から昼の時間が長くなり夜の時間は夏至にいたって、もっとも短くなる。 その短さ、はかなさを惜しむ気持ちを重ねて夏の夜を呼んだのが短夜という季語である。"

諦めと似て非なる潔さから始まる

隣の芝は青く見えるが、身近な周囲にたくさん愛が溢れている、花は狂い咲く。未来への想像力と瞬間を積み重ねて。

4日間の概要

月曜日、「部屋の豆電球の色は変わるのか?オレンジ過ぎない?」と家内に相談される。「ああ..」と答える。

"体当たりな人生 しくじるのも当たり前"というリリック

昨日の夜、外は雨が降っていて、歩いていると溝のような水たまりにがっつり落ちた。

地道に繰り返して、開拓する。わたしは商売人の息子。

"日々を生きる尊さが感じられるもの"が自分は好きみたい。記憶は定かではなくて、それを形に抽出する。記録に残す。作品というのは、「工夫した記録」という側面があるみたい。

特筆すべきこともない、調べものの日。

今は4時半、外が明るくなってきた。深夜の作業が押した。深夜の作業は少しワクワクする。夜の作用。そろそろ眠りにつこう。

昼と夜、月と太陽、光と闇、繰り返しの象徴。

詩作をしようと思い立つが、夜の公園で蚊に噛まれた。膝がかゆい。これは詩作にとっての盲点。痒みがおさまる頃、一編の詩が降りてくることを願って。まず思索。

自由には責任が伴う

佐藤博さんのSAY GOODBYEという曲で小躍りしていると、DJの方に一杯奢っていただいた。なんと音楽的体験。嬉しい。

-アイロニカルな最後になるか 愛を抱くか 君自身が太陽になるんだ-

お昼は同僚の人の"オーストラリアで釣りをしていたら、イカが大量に釣れたけど、ほとんどをハチに食べられていた"という話を聞いた。(ハチってイカを食べるのか)という疑問を抱いていたら、仕事が終わっていた。

日常の背中には、いつも非日常がくっついている。

家族が寝静まった部屋でひっそりと詩を書く。雨の音が心地いい。完全に触発されている。色んな芸術家に触れる、会いにいきたい。明らかに芸術が一番カッコいいと思う。ひとつの信仰。

自分も大人だけど、大人って複雑とか思ったり。

そして、本筋と関係ないけど、浅野ゆう子さんの話し方と声がUAさんに似ていると思った。

外堀りを囲っても、核心にはたどり着けないのだろうか。

今回は、アンビエント感とビート感をどことなく意識してつくった。

今日はそんなことを考えていた

いきなりトーンが変わるけど、子どもの成長を見守りたいし、久しぶりにイベントに行くと好きな人もいっぱいいて感動的に楽しいし、世の中知らないことだらけだし、まだ全然死にたくない。

陽が沈めばやがて思考は変化する

おいそれと日々を綴ろうと思いながら、月が変わった。「月が変わって7月よ」というセーラームーンの決めゼリフ"月に変わってお仕置きよ"をサンプリングしたツイートを目にした。月が変わるたびにそのつぶやきを思い出すのだろうか。

「作品が色んな世界に連れて行ってくれる」と言っていたことを仕事中ふと思い出す。

知りたいと思う気持ち、動機はそこにあるみたい。

人間皮袋

今日、肩が発火するのかと思うぐらい熱かったので、マッサージにいった。

「今日はこれぐらい欠けているのかぁ」とかしみじみいきたい

ギターを弾く振りやら、暦やら季語やらヒトラーとチャップリンやらを調べたりして過ごした。

小さな容器3本に血を入れるらしい。

どんなスプーンを用意してんねんと少し思ったけど、これは少ないのかと、へぇとか気の抜けた返事をしていた。

いつも同じ世界線に戻ってくる。

荒いそのままをなぜ痩せ細ったロウソクのようにするのか。型に勝るは情念か。

ある人を思い出した時にどういう気持ちになるのか、大切な気がする。

二人ともサルヴァドール出身。サルヴァドールはポルトガル語で救世主、つまりキリストを意味するのだそう。

「自分の感覚を当てにすることは辞めにしていきたい」今日1日をなぞった

確かに無思考だと善悪に関わらず、エネルギー量の強いものにただ人は吸い寄せられていく。