マスクと炊飯器
2020/09/02
マスクのヒモがすぐにちぎれる。箱買いしたあるマスクを使っているが、耳に掛けようとすると3回に1回は使用不可になる。予備のマスクを持っていればいいが、外に出かけている時にちぎれると非常に困る。非国民と言わんばかりの白い目、なんと簡単に向けられるのか。
同じタイプのマスクが後50枚ぐらいある。誰かに配るわけにもいかず、使わないのも少しもったいない。ということでしばらく、数枚のマスクを持ち歩く。マスクがないなど用入りの際はぜひお声がけを。3〜4枚は持ち歩くつもりです。(ただ、すぐにちぎれます。)
今日は朝から焼きおにぎりを食べた。醤油がべっとりと塗られた、こんがりとした焼き色。"中はモチッとして外はカリッとしている"という表現は、焼いた後の芳醇なパンなどに用いられるが、焼きおにぎりも同様であるのではないかと訝る。
外がカリカリしていることにより、お米というのはモチモチしているのだと再認識できる。固さと柔らかさが交わり合う口の中、噛むとともにそれぞれが移動し、飽きない食感を多分、生む。
一昨日、我が家に新しい炊飯器が届いた。まずは一度、パカッと蓋を開いて閉じてみた。辺りを包むのは新品の気配である。近々、美味しいお米を食べられそうだ。
しかし、黙りこくっている。
炊けた時はピィーと奇声のような音を発して、眠りについた赤ん坊を起こすのに、お米が釜に入っていないと無言を貫くのか。
そして、こんなにも横に長い必要はどこにあるのか。
「閉店日」について
2020/08/31
「aulymosquito」という表現のコミュニティを主宰しており、そこで詩人の伊藤晋毅さんにコラム「観察庁24時」を連載してもらっている。自分の感覚的な部分で感じていることだが、その人にしかない発想を持っている人がたまにいる。伊藤さんである。
本当は全員が「その人にしかない発想」を持っているのかもしれないが、その特有の発想が感じられる人は多くはない。伊藤さんは他に替えがたい発想を持っている人で、ひねくれやおどろおどろしさ、分析的なもので作品がコーティングされている場合はあるが一番奥には情緒がある。
見え隠れするその部分に触れるとじんとする。
伊藤さんが今回持ってきたテーマは「閉店」。
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【閉店日のグルーヴ】
https://auly-mosquito.com/blog/2020/08/30/observation-agency24-9/
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「閉店」するまで店は稼働していたのである。お客さんを迎え、商品などを通して人と人が交わっていた。閉店にはその営みがなくなること、つまり、その言葉にすでに"存在していたものが消える"という意味合いが含まれている。
昔、蒲焼さん太郎というお菓子が好きで、駄菓子屋に一回行くたびに10枚ほど購入していた。当時、駄菓子屋に一緒に行く、とても背の高い友達がいた。自転車の後ろによく乗せてくれていて感謝するぐらいなのに、「背が高くて前が見えない」といつも思っていた。
駄菓子屋まで自転車の二人乗りで行って、蒲焼さん太郎を購入しだらだらとしゃべっていた。日常のルーティンだったその行動は、駄菓子屋の閉店によりなくなった。
閉店はある一定人数の行動を変えてしまう。とても生活に関わりが深いことだ。
大きく言えば、これも無常観なのだろうか。
無常観はどの時代を生きる人にとっても、作品の立派なテーマになり得る。
どちらにしろ移り変わる運命なら、日々を丁寧になぞって生きていくのがよさそうだ。
写真は朝の散歩にて。太くも細くもない枝が良い。
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・総合芸術家集団 auly mosquito
・笹谷創
心の玉ねぎ化
2020/08/22
最近、読書熱が戻ってきた。数年前は本を読んでも何も頭に残らなかったのに、少しは残るようになっている。ひとつの塊がそのまま、箱に入っていて引きだせる感覚。頭の中の謎のイメージの障壁にぶつかることもなく。知ることによって見え方も在り方も、言動や行動もいい方向にいくと思っている。直感。
心の奥底にある核の部分に触れると、痛みが伴う。木が年輪を増やすように一番の核は新たな層で包まれていく。やすやすと触れられないように。精神的な意味合いにおいて、身を守る術とは、この層を作っていくことではなかろうか。ひとまず"心の玉ねぎ化"と名付けよう。
玉ねぎを何層重ねようが、鋭利な刃をもつ包丁で切りこめば中心地に届く。またかと思うが、夜が明ければ層は再生されている。歩いているのに空間が移動しない、もしくは空間が変形し襲ってくる。よくない時の基準も知っている。細胞の入れ替えか、新旧混ざった玉ねぎの選別か。新陳代謝、と処理をする。
ここまで「歳をとると丸くなる」を言い換えた。写真は先日、駅から歩いて帰った時。