原初的な音楽体験
2020/08/21
朝になった。先日発見した公園に来た。違う顔をしているのね。看板に「丸葉車輪梅」と書かれているが、綺麗に咲いていない。少し枯れ気味。時期が違うのか整備が必要なのか。
今週は夏休みだった。結果的にヒップホップ強化週間になっている。ひとつ一つの音がチープであろうと、リズムというのは人間を昂らせると再確認。健全な足腰を持つ限りにおいて、一生涯、踊れる。「この反復されるリズムの気持ち良さに気づいていないなんて、人生損している」と自分の尺度からしかものを見ていない発言が喉元までくる。
一昨日、渋谷の頭バーでムッシュかまやつさんの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を聞いた。この曲は友達に教えてもらった。
現場で聴けると、好きな曲が流れた時の嬉しさ、原初的な音楽体験か。
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そうさなにかにこらなくてはだめだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう
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もはや標榜。人を傷つけないものにずぶりと。
こちら朝の公園、荒井由実の「中央フリーウェイ」が流れてきた。気持ちいい。しかし、ヒップホップ強化週間。N.W.A に切り替える。
写真に写っているシマウマになんとなく乗って揺れてみた。切なくなったのでやめた。
この夜も新たな出会いのための準備として、前夜祭
2020/08/19
コロナ以降、夜に散歩する習慣ができた。
近所に新しい公園を発見。野原があって広々としている。小さな丘の上にローラーがついた滑り台がある。小綺麗な場所。木目調のベンチの影、近くには暗闇の時計台がある。外灯の光は白い。
好きな音楽を耳に流して書いてみた詩は嘘をつくのだろうか。
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うまれた決意は虚偽です
潔さの前にひざまづくのです
丘の上に登りましょう
秘密を共有しましょう
何にも触れずに そっと
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フラッシュバックする記憶やイヤホンから流れてくるあの曲。鳴り止まずに頭をループする。夜に感慨に耽りたくなければ、飲みに歩く、もしくは音を浴びにいく。新しい出会いはいつも新鮮で人生に活力を与えてくれる。
この夜も新たな出会いのための準備として、前夜祭。悶々としようが地道にやるべきことをやって、そうして、朝を迎えよう。明日もきっといい日。蚊にはきっちりと噛まれた。
小高い丘の上から撮ってみた。
依存先を誤ったインベーダー 気がつけばそこら中で死んでいた
具象性。
ブリタニカ百科事典には下記のように記されている。実在するがままの性質。
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いま,ここに,個別的に実在するもののまさに実在するがままの性質。したがって感覚の対象とはなるが,厳密な意味では思惟による把握は直接には不可能である。
--(抜粋)
"思惟による把握"には、自己解釈が含まれると思う。物事を考えることは常に自己を媒介してしまう。それを意識できても、意識しているのも自分なので永遠に逃れられないのではないだろうか。意思みたいなものが含まれる。
そこを逃れるには、宇宙と一体化しました的な、それ自身であると確信する必要がある。つまり、具象性の把握には、錯覚を起こすぐらいの強烈な体験、思い込まざるを得ないような記憶作りがいる。
何と一体化、もしくは何に依存するのか。その選択を誤れば、依存は習慣となり生活に組み込まれるのだから、一般的な意味において不幸になりやすいと思う。
次、リリースする「優しい人間」という曲。下記はその中のリリック。
"依存先を誤ったインベーダー 気がつけばそこら中で死んでいた"
インベーダーはシューティングゲーム。絶対に倒せない敵(依存先)の前では、ただこちらがぶつかって死んでいくだけである。敵自体を選択する。「自分には不幸なことがいつも降りかかる」という人がいる。本当にそうとも言えるが、依存先が何であるかと自分で意識できていないのだと思う。
そして、頭の中で考えることにはお金はかからない。