過去の自分とは他人であるのかもしれない。
昔の自分は完全な他人説
時々、過去のことを思い出す。
しかし、思い出した過去の自分は他人な気がする。なんとなく。
何かが全然違う気がする。具体的には体が重くなった。年を取ると、いい意味でも悪い意味でも人としての『厚み』が出てくる。その厚みは経験の賜物なのか、単純に体が老化したために出たのかわからない。
「3ヶ月で細胞が新しく生まれ変わる」そんなことを聞いたことがあります。(箇所によって全然違うらしいけど)
人間の細胞は、大人で60兆個もあるのだとか。
「新しい細胞に変わるのに、なぜ老化するのだ?」新しい細胞に一応は変わるけど、だんだんと古びた細胞しか作りだせなくなっているのかな?
すごく気になる(´Д` )。。
ちなみに、ダイエッターにお馴染みの新陳代謝とは、細胞が新しいものに入れ替わっていく活動を指すそう。
何より、細胞が入れ替わるという事実に神秘性を感じます。
当たり前にいつも存在している自分だけど、いつの間にか細胞が入れ替わっている・・これは、「知らないうちに泥棒に入られ、完全すぎて逆にあっぱれ!称賛を送ろう」みたいな感じと似ている。
ただ、実際に泥棒の被害に遭ったら、それどころじゃない。
結局は高みの見物の感情、圧倒的安全が確保されているがゆえの幸福。
なんと卑しい・・。カイジが命を賭けて鉄骨の橋を渡っているのに、ビルの中からニタニタ見ているおじさんたち。それと、一緒や。
出典 YouTube
「過去の自分は、他人である」みたいな感覚って誰しもが持っているのかな?
過去の自分を顧みる時は、自分の姿が見えている状態で思い出す(夢によくあるパターン)ので、もしかすると他人と感じるのかもしれない。
この感覚を悪用して、過去に後悔する何かをやらかした場合・・責任感の強い人は「他人がやったことやし」と開き直るのもありです!!!
過去の自分と今の自分の関係性・・謎が多いし、お腹空いてきたのでバナナを食べます!(うきぃー)
出典 Flickr
過去と今と未来と自分と他人、このあたりに新たな気づきがあれば随時ブログで発表していきます。
P.S 冷蔵庫にバナナ入ってませんでした。