日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

「音楽は音楽以外のロジックに翻訳不可能」言語外の思考について

言語外の思考

 

「役割」というのは抽象的に考えやすい。
コンピュータの仕事をしていると、やたらと専門用語が出てくる、ふと、遺伝子の構造を研究している人の本を読んでいると、聞いたことのない用語が洪水の如く溢れてくる。

 

しかし、その役割を抽出すると「AのおかげでBが機能する」といったレベルの話だったりする。関係性が多いゆえに複雑だけど、観点を絞ればシンプルだったりする。それらの構造を(変化の種類を決め)「記号」に抽象化したのが四則演算とかいわゆる数学に該当するのではないかと。

 

数学がなにより現象を抽象化しているとは知りながら、具体的な自分の仕事だったりやることは「感情」で決めているし、数学に時間を割いているわけではない。

何が言いたいかというと、頭で大筋を理解しているのと、自分がプレイヤーとしてやることはこれでもかと違う。プレイヤーになってみると、想像していた大筋はそんなに外れていない。(大筋のざっくりとした例: 音楽でいうと人が感動する音色やパターンはある程度決まっているなど、、?)

技術につながるので知っている方が色々いいかもだけど、あんまり関係ないように思う。

 

その人をその人たらしめるもの、作品。

この一連のツイートの感覚がいわゆる「個性」に関わってくるのではないかと。

 

 

上記の「言語化かそれ以外(感覚)か」ではなく、もっとこう入り組んだイメージを持たないと、抽象的な面での完成度、深みみたいなものはでないように思う。作品に思考がでるというか、バレるというか。同じことをしても、独創性があるというのは、ここらあたりを人より細分化してもっているように思う。また、上記でいう視覚的思考力があると、本質を見抜きやすく共通項を見つけるのも、得意になるかと。

 

とやかく言語外の思考はいくらでもあるように思う。言語はたまたま読み書きという特殊な性質を持っているだけ・・なのか。レトリックであり学問であるのでしょうか。

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