心象記 -異花受粉-

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。日々、文字を連ね言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。結果、物書きとなる。

「ひめゆりの塔」へ

2019/10/31

 

ひめゆりの塔にいった。それは那覇から十数キロ南下した糸満市にあった。一度、中学生のときに沖縄に訪れたが、ひめゆりの塔にいったかどうかは定かではない。記憶にない。


当時使用していた薬品の瓶のようなものが飾ってあった。それはボロボロで、時の経過を止めた、その瞬間を保存しているようだった。 


最後のあたりの部屋では、ひめゆりの女学生の顔写真が飾られてあり、その下に一人ひとりの気質が書いていた。「リーダーシップがあり、気立てがいい」。
写真は壁一面に張り巡らされてあり、少しの罪悪感を生んだ。爽やかな心持ちになれるようなものではなかった。直感的に"繰り返してはいけないもの"と認識した。人間の生に対する感情。それを記録すること、伝えようとする意志、そのような芸術がひめゆりの資料館にはあった。


人間はやたらと汚く、とても綺麗である。いくつもの面がある。

その奥底に触れる作品を創りたい。死を迎える前に。

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