日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

大久保にて

2020/02/01

 

先日、O氏と新宿で待ち合わせていた。

大久保に向かうつもりであった。山手線で止まるかどうかで一悶着あり、ホームを2回移動した。 総武線であることになかなか気がつかなかった。話すことに夢中になり、意味不明な方向に進んでいることはよくある。とたんに注意力が欠如するのである。 

大久保には角の尖ったマンション、美味しそうな焼き鳥屋、いかがわしい看板があった。それぞれ、その地を生活として選んだ。

 

また、その真逆と相対したことがあった。

江古田ですぐに店をたためる準備をしているタピオカ屋。流行に乗じて金を稼ぎ、生きる。時が経過していることに気づかない私にとって、そのアンテナの高さには関心する。大久保のとある、失礼ながら、何でもないような居酒屋に入った。あれやこれやと話した。彼の初対面の人に対する独特なコミュニケーションの取り方に、おどろき、また「亀は寒いと消化が悪くなる」という情報にも驚いた。

 

目的のひかりのうまに着いた。珈琲焼酎を飲みたかったが、明日がちらつき、ハイボールにした。

 

「何にしますか?」

ハイボール、かど」

そう言ってみた。

その言葉を発したことにより、他が疎かになり、それ以外の会話が思い出せなくなった。次の会話を探す。

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