日記

ある日、おじいちゃんに「客観性に収斂せよ」と説かれ、言葉の存在意義を考え始める。言葉の持つ諧謔性・残忍性・恣意性に導かれる。 - 総合芸術家集団「auly mosquito」 代表 http://auly-mosquito.com ・HomePage http://so-sasatani.com

水はたくさんのものを浮かべる、濡れてはなくなる。

2020/04/07

 

覚悟を持ち愛でた。

何も捨てられず、あれとこれは別問題と言い聞かせた。素直さを免罪符として、ただ蓋をし続ける。重みづけ、それぞれの重要度を判断し分けている。考えと行動がいつも一致せずに苦しんだが、それはとても楽でもあった。


叱責にどこまで譲歩するのか、それは責任の寄せ方でもある。その考えが浮かぶ時点ですでに支配的であるのか。一過性のものを捨てようと大樹に鳥は寄ってくる。ひとしきり雨が降った跡。

 

ひんやりとした感触は忘れがたい。耳にせずとも覚えている響き。どのくらいの量を払いだしたのか。「新しい」とは、すでに備わってあるものを呼び起こすこと、拾い集めてきた知覚。情緒のない文章は人間を突き動かす役割を果たさないのか。そのために不要であろうか。いや、故に必要なのだろうか。


意味、概念、感情ばかりに行動を付随させ消費してはいないだろうか。問うことに目を向け、忘れものをしてはいないだろうか。


未来は分からないゆえに選択できる。無意識を少し意識しただけのことで至って何もない、狭間にただ立ち続けている。周期的に光に照らされてはまばゆい。

水はたくさんのものを浮かべる、濡れてはなくなる。いつか乾く。

また運んでこれば、それでいい。

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